2016 SC ツアー in Bali

シンプルにサーフィンをする事だけを、目的に旅をするなら
今回訪れたこの地は、正にそれにふさわしいディストネーションと言えるだろう・・・。目が覚めたら徒歩30秒のビーチで、こんな波を見ながら歯を磨き
バナナの一本も、軽く口にしてからパドルアウト。ちなみに6時に夜が空けて、一時間経過しても「Nobody in the sea」(合ってんのかなあ・・・)
日本では、いやバリの他のポイントでも考えられない事。それこそ、初日から二日目位迄は「混む前に、風が吹く前に」と、先を急いでしまいましたが
空いている理由は簡単、ここでサーフィンしているのは
この辺りのコテージやホテルに、滞在している方がほとんどでたまにクタ方面からの
ツーリストが2~3組いる程度で、海で逢うのはほぼ毎日同じメンツ。
人の事は言えませんが、みなさんお歳をめした方が多く、とにかく大人の振る舞いでフレンドリー。なので、私達もそのリズムを崩さぬ様に気を付け
「自分の所へ来た波だけに乗る」の繰り返し。
そんな楽園は、大切にしたいと思うので、ここがどこかはあえて伏せさせて頂きます。
まあバリ通の皆さんなら、ご存知かと思いますが・・・。
初めてバリに来た1980年来バリの虜になり、幾たびと訪れましたが
その「楽園」はカタチを変え、ついに私の中で「もうバリはいいや・・・」と
その後、スマトラ半島の最北端に始まり「楽園」を求めて各地を彷徨い続け
一時期は「ロンボク島」に、毎冬身を寄せていましたが、そこへも開発と人の波が押し寄せてしまい結局は再びバリへ、ここもこの先どうなるのか分かりませんが
取りあえず今は、お気に入りのディストネーションのひとつです。

今回の旅のメンバーは私を入れて7名。大学生チームとオジさん達。
自分に置き換えると、親父より年上の人と旅は勿論酒も飲んだ事も無いので
まったく分からないけど彼らに、俺達はどう映っていたのだろうか・・・。

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 バリ最後の晩餐。
サーフィンしてメシ食って、又サーフィンして、ビンタン飲んでメシ食って寝ての繰り返しだけの旅を、コンプリートした若者達。こんなんで、良かったら又行こうぜ!

             

 

さてさて、次は何処へ行こうかな・・・。

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SCバリツアー2015

2015年3月1日(日)掲載

昨年の「20周年記念ツアー」でも、12名しか参加しなかったのに

特に何の告知もしませんでしたが、10名もの参加を頂きました。

実は店を始めた頃から、この閑散期に海外へトリップに行くのが、恒例となっていましたが

当時と言えば、私もまだ今よりは若くて元気だったので

トリップに行っても周りに目もくれずに、連日サーフィンに明け暮れていたせいか

年々メンバーが減って行き、ていうかと二度と行かなくなる方がほとんど

私も馬鹿じゃないので、理由は薄々分かってはいましたが

「俺に、付いてこれないやつはいらない」的に、イキガっていたので

しまいには「カミさん」と、二人だけに(この頃は妻はまだサーフィンをしてない)

それでも二人で、あちこち旅を続け5年程したら、当時を知らないお客さん達から

「良いですね~僕も女房と一緒に連れてって下さい!」とか

「新婚旅行でバリに行くので、ロンボク島で合流しましょう」なんて声で、またツアー復活。

ただ残念な事にそのカップル達は、数年後には二組共離婚したみたい。

でもそれは、私のせいじゃないので悪しからず・・・。

そんな紆余曲折を経て、数年前から又またツアー再開。

まあ今のところ、リピーターが多いので取りあえずは「嫌われてはいない様です」

ていうか、正直みなさん凄過ぎます。

「朝は早いし」「海からは上がって来ないし」「夜はずっと飲んでるし」私は付いて行くのがやっとです。

歳を重ね学んだ事の一つに「人にはみな自分のペースが有り、それを尊重しながらの団体生活」

それには、移動の無いビーチフロントにステイしての、トリップが一番!

本気で波を当てに、あちこちモバイルするなら、せいぜい2~3人がベストですが

今の自分には、このスタイルがストレスフリーで、サーフィンに集中出来ます。

(アッ、でも観光もしたい。なんて思っている人も居るのかな・・・。)

ラ・ウニオン下見ツアー

下見トリップから帰国して三日目ですが、食指をそそる様な波は未だ立たず旅で増えた脂肪を消費出来ていません。

毎食、毎食ガイド「チューさん」のベストチョイスによりしこたま美味しい料理を頂いたせいで、同行メンバーみなウエイトオーバーの様です。

で、来年の「皆様と行く20周年記念海外サーフツアー」はフィリピン「ラ・ウニオン」に決定します。日程は2月10日〜16日かその翌週で4泊6日。費用は今回はガイド料込みで10万円でしたが、来年は直行便、ホテルのグレードUPを予定していますので、若干の変動はあります。滞在費は毎食、外食して飲んでも2万で充分、あとは個人差有り。

詳細はこれからつめますので、まずはパスポート(半年以上有効期限が必要)旅費はカードも使えるし、今から貯めても良いし、肝心なのは仕事の調整かと。それとアフターサーフィン後の、連日連夜のパーティーに耐えられる強靭な肝臓かな・・・。

取り急ぎ仲良く一枚ずつUPしときます。

サマール島

「サマール島」のサーフトリップから、昨夜無事帰国(多少の打ち身や擦り&切り傷は有るが)

今回の旅は、ブルーワーのチームメイトでもある、現地ガイドChuさん事「高橋健」プロを訪ねて女子プロサーファーが企画し、それに私が「当店の20周年の記念海外トリップ」の下見も兼ねて便乗したカタチ。

しかし「女子会」に一人で乗り込む程、若くは無いので「ミック」事、仲尾氏に白羽の矢を立てたところ快諾。彼とは何度か海外経験があるし、人見知りしない性格は、初対面の女子達ともうまくやれるだろう。ていうか出発の二週間前に誘って、そうそう行ける自由人は居ないので彼しか思い浮かばなかった、というのがホントのところ。

そんなミックも流石に、2012年ロンググラチャンの植村未来プロ(ちなみにショートもプロ)や和田純子プロ(2012年大洗3位)そして(2012年マーボロイヤル4位)「かずね〜」事、内田一音プロ達を前にして珍しくやや緊張気味なので、私の「まずは名刺代わりのオフザリップでしょ」のアドバイスに「いや、まずは乾杯で」と返す・・・。

まあ取り急ぎ、皆さんの一番興味がある波の様子(解説無し)街並や食、酒等の詳細は、これから編集するDVDの方で御覧下さい!

(グーフィーフッター)ショート&ロング植村未来、ロング内田一音、920。

(ナチュラルフッター)ショート和田純子、ロングChuさん、ミック。

自分に取ってはなんと6年振りの、海外サーフトリップ。それまでは、ほぼ毎年恒例行事の様に南の島を中心に・・・。不況、犬の世話、理由を挙げればキリが無いけど一番はジャングル系のトリップに、体力の衰えと共に気力が失せた事かな・・・

まあ54歳の私を筆頭に、未来ちゃんが28歳(そうそうお父さんは49歳でミックと同い年だって!?)と年齢は勿論の事、性別、国籍まで違う初対面通しが、こんな素晴らしい旅が出来るのも「サーフィン」と言う「共通言語」のおかげ、またジャングル系に気持ちが再燃。よって「皆様と行く20周年記念海外サーフツアー」はほぼフィリピンに決定。まだ一年以上有るので、リーフでの怪我をしない巻かれ方を、一緒に勉強しましょう!その前に、オーバーヘッドの波に乗れないとですね・・・。

勝浦へ

誰も居ない海を眺めながら、本日も営業中なり!

とは昨日の朝の話、予想とは裏腹に午前中に来客が数人。よし午後からは店を閉めて、外房を北上計画。二階の141さんも誘いハイエースでGo!

御宿辺り迄視野に入れ、帰りは「勝浦タンタンメン」とビールだな等と (どっちがメインだか)
ハンドルを握る手が汗ばみ、更に右足には力が入る。一応おさえで「守屋海岸」をチェック、更に北上「松部」のブレークを右手に短いトンネルを抜けると、「あれ!マリブがしかもそれほど混んでいない」初マリブの妻、30年前に一度だけの141さんに有無を言わさず「入りましょう」と一言。

ご存知の通り1ピークでしかもビジターが、おいそれと乗れるわけも無いのは千も承知。ただこの現場の空気感を味わうのも、勉強なのでと妻をピークへ誘いましたがなんと一番最初にミドルクラスの波を捕まえ、テイクオフしたのは彼女でした!?

「ソロバンのダラダラと違って、次から次へと壁になって来て超怖かった」と興奮気味に「これ以上は望めないから、子マリブへ行く」と妻「その方が本数は、乗れるからそうすれば」と私。ちなみに子マリブでもカタ〜アタマはある。

美味しそうな御馳走を目の前にして、食べないわけにはいかないのでローカルに敬意をはらいながら、5〜6本乗らせて頂き「どうもご馳走様でした」残念ながら自分たちの写真は有りませんが、雰囲気だけでもお楽しみ下さい!

実は自分のサーフィンのルーツはここ「勝浦」にある。忘れもしない37年前(高二)の秋、同じクラスの友人に「今日良い波だから早退するけど、一緒に来るか?」と誘われ始めて学校のある鴨川から外房線に乗り、降り立ったのが勝浦駅(今はリニューアルされ当時の面影は無い)結局「観てるんだったら、お前もやれば」この一言がのちに私の人生を、大きく変える事になるとは、その時は誰も知る由もない・・・。

借り物のウエットに着替えボード(2m20cm位のシングルフィン)を持ち橋脚の下の浜へそこが「マリブ」こと串浜海岸、あれから37年かあ(途中止めてた時も有るけど)・・・あの高校に行ってなければ、あいつと同じクラスにならなければ(ちなみに3年間一緒)考えだせばキリが無くこうしてHPを更新したり、みなさんともお会いする事も無かったのかなあ

いや、やはり世の中には偶然は無くすべて「必然」昭和33年に生まれた時点で、このストリーは完成されておりただ、ターニングポイントとなる出会い(縁)に気づき、それをどうお互い生せるかが肝心。人生とはすべて、その繰り返しで成り立っている、というのが私の持論。

「あまからや」で中華料理を紹興酒で流し込み、たんたんめんで汗をかいたあと急に懐かしくなり、勝浦駅にほど近い友人宅を突撃訪問。話を聞くと入れ違いで、マリブでサーフィンしてたとの事。高校時代は泊まりに行くと、いつも美味しいご飯を作ってくれたお母さんも元気で
私の事も覚えていてくれて、しばし皆で歓談。サーフィン歴40年勝浦のヘビィーローカル「信夫」ありがとう、また遊びぃ行ぐかんな!

不思議な、「人」の縁の話し。最終章(1981春~2005現在)

帰国後バリでの暮らしを思い浮かべる暇も無い程、次から次へと深刻な現実が迫ってきた。下痢と微熱が続きコレラの疑いがあると、保健所の担当者の来訪を受けたり、真っ黒に日焼けした顔で1週間に渡る新入社員研修に参加し好奇の視線を浴び「営業マンはサーフイン等やっても役に立たない、ゴルフを覚えなさい。」「それに何だいそのマジックテープの時計は」・・・まるで今までの自分をすべて否定された様な、気持ちになり相当凹んだがりっぱな社会人に成るとはそいう事なのだと言い聞かせながら、慣れない手付きでネクタイを絞め真新しいスーツに袖を通したのだった。いつまでも別れた恋人の思い出に浸っているかの如く、バリでの暮らしが蘇り前に進めず、何か良薬はないモノかと思いを巡らした末、バリでの出来事を紀行風にまとめ、前述したサーフイン雑誌に寄稿し見事不採用に・・・

僕の旅はようやく終わりを告げた。仕事とサーフインの両立、誰もが一度は真剣に悩む命題。どちらも真面目に、取り組もうとすればする程奥は深く真っ暗闇。僕はこのあと樹海のような深い森の中へと迷い込みそこを抜け出すのに、数年の歳月を費やした。初めてのバリトリップから14~5年経った頃、僕は真冬の海に浮かんでいた、その日はオーバーヘッドからアタマ半位のエクセレントコンデイション、日曜日という事も重なり若干の賑わいをみせていた。

とは言ってもこのサイズになると、おいそれと誰でも乗れるモノでも無いが。程良くシェプされた波をチョイスし、深いボトムターンを決めリップにカットバック、ロールインで締め括り。ラインナップにハアハアしながら戻ると、波待ちしていたサーファーが振り返り開口一番「よおう久しぶり、まだ波乗りやっての?」そうO久保だ!!!僕はまったく同じ質問をして、「やってるどころかロングだけどプロになったよ~」「え~マジでえ仕事は?」「サーフショップやってんだ」と何本ものGOOD SWELLを見送りながら再会を祝した。帰り道にショップに立ち寄り「こっち水暖かいしちょくちょく来るよ」「じゃあまたな」と少し薄くなり始めた後頭部を見送った。それからその言葉通り週末を共に過ごす事が増え、彼の人見知りしない社交的な性格も手伝ってかクラブ員にも自然に溶け込み、酒席等にも積極的に顔を出すようになった。ただ酒量に関わらず二人の口から出る話といえば大昔に行ったバりでの思い出ばかり。そう他にはほとんど接点が無かったからなのだ。しばらくするとO久保は何の前触れもなく姿を見せなくなった。水温が上がって来たので、自宅からほど近い(鵠沼から墨田区に引越していた)千葉北方面に戻ったのだろう、また寒くなったらこっちへ来るだろう位に楽観していた。ていうか良く考えてみたら連絡先を知らなかった、携帯電話はまだ一般には普及しておらず・・・

それから数年後、その日の僕は遠く仙台のビーチを、コンテストに出場する為訪れていた。質の良いビーチブレークとして有名な仙台新港。ビッグウエーブスポットとしてもその名を全国に知らしめている。早々と自由の身になった僕は優勝を狙う友人をそっちのけで、今晩は牛タンをつまみに芋焼酎でも等と、良からぬ事に思いを馳せていたその時、出たああ!!!O久保「いやあ久しぶり5年ぶり位かなあ?」僕「いや6年ぶりじゃない、処で何やってんの?試合見に来たの?」(その時はショートとロングのオールジャパンが同時開催されていた)O久保「見に来たには違いないけど、あの後仙台支店に転勤になって今こっちに住んでるんだ」そう彼は大手コンビニエンスストアの本部でエリアマネージャーをしていた。転勤かあ・・・まったく思い付かなかった自分を恥じながら「なんだ言ってよ心配してたんだ急に来なくなったから」裏を返せばそれ程の深いつき合いでは無いと言うことなのか・・・その日の夜はローカルサーファーの案内の元、昼間の想像をはるかに超える酒席になった事は言うまでも無い。さすがにこの時は、合コンで意気投合したカップルの様に携帯番号を交換し「また仙台来たら連絡ちょうだい」「わかったする」しかしそうそう仙台に行く機会は無く2~3年が過ぎた頃、僕は持病の腰痛が悪化し自宅で療養していたのだ。痛みは峠を越え3日間に及ぶ禁酒も、そろそろ解禁かな等とまたまた良からぬ事を・・・もうおわかですね、今度はミニチュアダックスフントの愛犬「フラン」と共に、「何で家に居るの分かったの」「店寄ったら奥さんが腰痛くて寝てるから行ってみれば、でも飲ましちゃダメだよだって」なんて勘の良い女なんだ・・・「どうしたの波乗りしに仙台から来たの?」「いやあ転勤でまた東京に、戻って来たんだ」「えっいつ」「半年位前」またかよ・・・その後は毎週のように何処かで1ラウンド終えると「フラン」と共に拙宅を訪ずれ、どんなに遅くまで飲もうと朝5時には起き「フラン」を散歩させ、海に入り明日の仕事に差し支えるのでと早々に帰宅する。まさにサラリーマンサーファーの鏡。翌々聞いてみるとそんな波乗りジャンキイーにも入社当時は忙しくて、海にも行けず悶々とした日々を送っていた時があったそうだ。そうか僕らが偶然にも奇跡の様な再会を繰り返して来られたのは「波乗り」そう「海」が引き合わせてくれたんだ。だからお互いちょっと海から遠ざかっていた時は会えない訳で、たまにでも良いから続けることが大切なんだなと痛感した。競馬場で知り合った人には海に行くより競馬場に行った方が逢える確立高いだろうし、スノボはやっぱり雪山・パチンカーはパチンコ屋・・・「海」って改めてすごいなホントに世界中繋がってる・・・・   終わり

本文中O久保等と呼び捨てにしていたが、実は1歳年上(卒業したのは一緒)だったようだ。

ゴメンナサイ。

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