「ロートル(大食い)夫婦の夏休み in 下田」Day3.

下田滞在三日目の朝は、見事な秋晴れ☀に恵まれました🙌

台風26号は、勢力を弱めながら接近していますが、波は更にサイズダウン⤵
まあ被害が出ない事が、一番なのでそれも良し😀

妻は朝飯前に一ラウンド。寝坊助のぽんこつオヤジは、朝飯後にパドルアウト。
大和館はそのロケーションの良さで、サーファーのリゾバイ率が高く彼女達の話だと、
「前回の台風で砂が削り取られて、ずっと深目な地形でこれでも良くなった方です」との事。
ウネリは厚くて引っかりづらく、立てたら立てたで速くて、おっさんには手強い波質。下田に来たら寄らずには居られない「弓ヶ浜」でしばし休憩。ここ迄足を伸ばしたら、ランチはお約束の「南京亭」ここでビールを頂いたので、ハンドルは妻に託して一路湘南方面へ🚙いつもの湘南よりは波は有りましたが、まあいいっかという事で
茅ヶ崎の日帰り温泉へ、そこで新しい相棒の車中泊体験。

 

からの最終日(2日)は、以前から気になっていた都内の某所で買い物。

こうして3泊4日の旅は終わり、無事に帰宅して思い出に浸りながら
二本の人差し指で、パチパチとキーボードを叩く、ぽんこつオヤジでした😓・・・。

「ロートル(大食い)夫婦の夏休み in下田」

昨日からお休みをいただき、恒例(高齢)の下田ツアー。
昨年は今年3月のバリトリップに向けて、資金調達の為にスキップしたので
2年振りとなりましたが、新しい相棒(NV200)との初遠出だった事も有り、
ちょっと新鮮でした。

表紙の写真は吉浜のちょっと手前、ここまで千倉からおよそ3時間半。
夕飯前に一ラウンド予定なので、どこにも寄らずに一路下田のはずが、
やっぱり腹は減るので、伊東市川奈の蕎麦屋へ。
たまたま国道沿いに有り、始めての店でしたが、中々美味かったです😀かなりの人気店の様で、昼時には行列が出来る程。

蕎麦だけでは満たされない妻は、ライスを追加。エッおかずは!?
因みにこちらの店は、蕎麦とうどんのみで天丼等のご飯物が無いので・・・。

ここ迄要した時間は、待ち時間を含めて何と1時間。
走ること更に1時間強、ようやく到着。台風26号のスエルが届き、7時間のドライブ後には丁度良いサイズ。日が暮れちゃうので、チエックインの前に一ラウンド。
宿はナッキィー🐶と、来なくなってからの定宿「大和館」
かつては高級旅館だった様ですが、施設の老朽化に伴い低価格路線にシフト。
同時にこのロケーションを活かし、サーファーの生態にも特化したサービスにより
盛り返している様です。

黒あわびが付いて、ご飯のお供にこのサイズの金目鯛が一匹。
ご飯も食べ放題で、一泊二食で一万円ちょっとは、「安い安い〜」(夢クラブ風)
まあ、その分ビール中瓶一本1,000円位するので、飲み代は二泊で10,000円近いですが(笑)

して一夜明け、日付は9月30日。
台風が近づいているのに、むしろサイズダウン⤵
なので、まずは朝風呂♨。
シンガポールの「マリーナベイ・サンズ」ぽいアングルで撮ってみました。
からの朝飯。
用意して頂いたおひつのご飯では足りず、前回同様おひつごとおかわり。

 

一ラウンド終了後、たまたま白浜へ家族旅行に来ていた、船木ファミリーと合流して
入田浜の名店「フェルメンコ」でランチ。

今回はこちらで働くT村さんのお嬢様とは、タイミングが合わず会えず。おひつごとおかわりしても、4時間後にはこのサイズを一枚ずつペロリ。
というのも、美味しいのは勿論、生地が薄いので楽勝です😀

サーフトリップなのに、食べ物の話ばかりで恐縮ですが、
この後も昼寝を挟んで2ラウンド目もやってます😓

明日は波次第ですが、鎌倉のリーフも視野に入れて、2日には帰宅予定🚙

続く・・・。

「安・楽・空」

タイトルは、先々週の「安・近・短」に、真似て作った私の造語です。
「安」安全に(身の丈に合った)、「楽」楽しめる波で、「空」空いているポイント。

昨日の近郊の海は、どこも頭以上のワイドブレーク、しかも天敵の東風。
さてどうすんべか、長年培った野生の勘の元、
弾き出した答えが「安楽空」を求めて「北上せよ」
念の為、友人に電話すると「今は潮がいっぺぇで、割れねえお〜」
「人は?」「だあ〜んもいねえ、潮が引けば胸位になるお〜」
「やるの?」「これから用事が有って出かけるからやんねぇ」との事。

よしじゃあゆっくり目に出発して、あんな事やらこんな事もが、頭を駆け巡る。

海から上がったら、まずはカツオを買って。

遅めのランチ。
結論から先に、知っている魚屋は二軒とも定休日。しかも「江ざわ」も😂

波は着いた時はこんな感じ。信夫の言う通り、潮が引いて来たら、胸どころか肩以上迄サイズUP⤴しかもサーファーは、私と妻の他に二人のみ。
まさにこれぞ「安・楽・空」(あん・らく・くう」

私の友人は、半世紀以上に渡りこのポイントを守る為に、
どんなにデカくなっても、どピークからその日一番の波に乗り続けて、
その存在感を未だに示しています。
海岸掃除しかしていない私とは大違い😓

という事です。このブログもSNSに入るのかな・・・。
私が初めてサーフィンをした、思い入れの深い場所でも有り
勝浦の街を歩く度に、未だに胸がキュンとします♥

「江ざわ」が休みなので、代打「はらだ」へ。ここはメニューに「ライス」は無いので、妻は「つけ担」をライス代わりに。
この人見かけによらず、大喰いです。

これにてミッション終了、一路千倉へ🚗。
途中トイレ(食事中の方失礼)に行きたくなり(私かなりの頻尿)、馴染みの海岸へ立ち寄り。

最初は、隠れんぼで鬼に見つかっちゃった子の様な顔をしてたけど、
いつものバカ話をしている内に、
M木さんも、ワンちゃんの散歩から戻り一同記念撮影。これから新たなプロジェクトを、展開すべく準備中との事でした。頑張って下さい😀

 

帰り道、最近読んだ本の1節が頭をよぎる。
「何事(人間関係や結婚、商売においても)も、
始めるのは、それなりの努力が有れば、誰にでも出来る。
「難しいのは、いかにそれを継続させられるか」みたいな話。身にしみています🙇

「旅の足跡」第三章 2000年代(HP開設以前編)

堅苦しいタイトルですが、今回の特集は紙のプリント写真を巡るがコンセプト。
今の様に携帯で写真を撮る習慣が無い、いやそもそもカメラ機能が付いていない時代の話。
しかも私はビデオカメラ以外、カメラという物を持った事が無く
今のビデオカメラは静止画モードも有り、解像度も高いのでこれからも持たないかな・・・。

カメラ付き携帯が普及した頃に、HPを開設してブログも始めたので、
そこに掲載されていない「海外トリップ」を振り返っています。
まずは2000年1月の「マウイ島」から。

「マウイ島」2000年。
⬆ホノルアベイ(写真無いのでネット上から拝借🙇)
この時は人生初のアメリカ圏で、右側通行が慣れなくて怖かったです。
旅のメンバーは青山ファミリー(長男のカイ君覚えてるのかな)

ホノルアベイやホオキパ、カフルイ港脇で🏄しました。
2023年の山火事でラハイナの街は壊滅状態に、
今は復興に向けて、再建作業が続いているそうです。(戦争やってる場合じゃない)ウインドサーフィンの聖地だけ有り、とにかく風が強い。
「ロンボク島」2002年。
ここからしばらくバリに変わる新天地「ロンボク」通いが始まります。
まずは二人で現地調査に、今思えば初の二人旅🙀
当時ロンボク島へは、バリから国内線(ロングNG)かフェリー(ロング可)で
行くしか方法が無く(後にシンガポール経由で行けるのを知る)
クタで一泊して翌日に、ベノア港からフェリーで。
安いホテルでしたが、お約束のプールも有り大満足😁ホテルの前の景色。これこれかつてのバリそのまま。妻もこういうジャングルが大好きで、価値観が一緒は大事です。
このトランクス今でも履いてねえか!?
流石世界の「ROXY」今みたいに、ブログを書く事を想定していないので、食事のシーン等無い・・・。
お世話になったグルプックの面々。
「ロンボク」2003年。
翌年はメンバーが一気に増え、クタに長期滞在していた「田原プロ」も合流。
この時が「831君」や「山本君」との、初海外となります・・・。「アイルグリーン」
この後、2005年・2006年と成田〜シンガポール〜ロンボクのルートで
二度程訪れましたが、2005年辺りから「スクールビジネス」が盛んになり
新天地にも変化が訪れ、バリに続きまたもやもう良いかな😢と。

そうそうバリやロンボクのスクールは、日本のそれとは大違いで、
生徒さん達はパドルする事無く、カヌーでメインピーク迄来て
そこからジャボン。
ローカルガイドのアテンドの元一番良い波を、ピークから押してもらい乗って行きます。
その数は1隻で10名前後、それが5〜6隻。
こっちがピークから乗ろうが、ほぼ関係なく押して来ます。
妻も先日のメドウィーで、やられました。

※おまけ
2005年の彼にとって二度目のロンボクで、ドロップインされて最終日に負傷。
マユ細🙀

これにて、2012年のフィリピン「サマール島」迄、海外トリップは一時中断。

と云うのも「四十の手習い」ならぬ「五十の手習い」で、スキーもやった事無いのに
スノーボードにチャレンジ。
毎シーズン5回前後は、雪山通いをしていました・・・。
怖さが先にたって、中級者コースがやっとこさで、3級迄は取りましたが
海外旅行が復活してから、足がすっかり遠のきました・・・。

落ちがついたところで、これにて終了。

 

自分で言うのも何ですが、第一章、二章、三章と先細り感は否めません😓
拙文を最後迄お読み頂き、有り難うございました🙇

「旅の足跡」第二章1990年代(サーフショップ業編)

「旅の足跡」第一章1980年代、楽しんで頂けましたでしょうか。
当時のバリを知る方からは、「バイクの教習所行った行った!」
「海も道路もガラガラだった」等など、共感の声を頂きました😁

さて、1993年11月に現サーフショップ「サザンコースト」を開業。
今から思えば、まさにこれぞ「若気の至り」
こうして33年目を迎えられているのは、今迄支えて来てくれた皆さんのおかげです。
この場を借りて、「有難う御座います🙇」

「バリ」1996年。
ここからは皆さんご存知の面々が登場して来ます。
まずはいきなりですが、表紙にて妻の登場です。
この時はショップを始めてから、二度目のバリツアーとなります(通算7回目)
一度目(1994年)の写真が見当たらず、二度目からとなりました。

ウルワツ!?へ向かう途中で、ガス欠したかな・・・。
ほとんど車が走っていません。
今とは大違い。

ロータイドのウルワツ。

この時は総勢6名だったので、ライトバンをレンタルして荷台に一人乗ってたかな。
バリアンで1ラウンド、メドウィーで2ラウンド目。
メドウィーは、5人で貸し切りだった様な気がします。
そうそう妻は、まだサーフィンデビューしていません。
このあと、10数年後にデビューです・・・。

そんな事よりも、ここがメドウィーのどん突きで、右側の屋根が巨大な休憩所で
今の「ボンボラホテル」の建っている場所です。
この屋台が進化して、今のワルンになったみたいです。
やっぱり、営業権みたいのが有るんでしょうね。
この日はたまたま「ラマダン明けのお祭り」が有り、みんさんオメカシしていました。

妻が居る側がホテルの敷地内(レストラン利用)で、竹で作られた柵で仕切られていました。
今から丁度30年前なので、この子達も今は30〜40代なのかな・・・。

ここは300段位の階段を降りて行く「グリーンボール」かと。
実はこの時のバリツアーを境に、私のバリ通いは途絶えたのでした。
理由は「Bali Surf Trip 2026 Day9.」で述べていますので、そちらを参照下さい。

 

「フィージー・ナモツ」1997年。
CTツアーの会場でお馴染みの「タバルア」の、近くに有る「ナモツ島」
「島」と言っても一周しても10分位で、学校のグランド程度の広さかな。
そこに6〜7棟のコテージと、レストラン、オフィスが有るだけ。
水道が無いので、黒いビニールタンク(一日1本)に、
水を入れて日中吊るしておいて、太陽で温まったお湯がシャワー代わり。「カバ」での歓迎の儀式。
まだプロになる前の伊藤君との初海外。フィージー本島から、小さなボートに乗って上陸したら、1週間後の迎えのボートが来る迄、
サーフィンするか釣り、昼寝、星をみたり、飲食以外にやる事は無い。
なので本当にサーフィンに集中したい方にはモッテコイ。
流石にこの歳になると少しキツイかな・・・。私は素潜りはしますが、釣りは生まれてから数回しかやった事が無く、
この時はビギナーズラックで、ロウニンアジとシーバスゲット。
晩飯に他の宿泊者とシェアしました。

 

 

「北スマトラ・バンダアチェ」1998年。
成田〜ジャカルタ〜メダン〜バンダアチェ迄。
出発から1日半かけて到着した、スマトラ半島の最果ての地。
到着早々問題発生😱
このエリアは、ゴリゴリのイスラム教でアルコール禁止。
宿のレストランに、ビールすら無い。
このメンバー酒豪揃いで、ヤベエなあとなり
そこは「蛇の道は蛇」、闇で売っている所迄、🚚をチャーターして買い出しに📦
ビールを何ケースか買いましたが、この人数でいつもの調子で飲んだら
一週間どころか2〜3日で底をつくので、配給制に1日一人1本位だったかと
今はそんな事無いらしいけど、その時は参りました😂

ビーチフロント滞在スタイルで、サーフィンに明け暮れてから
夕飯にヌルい(冷蔵庫も無く、飲む時にバケツに氷を入れて冷やす)
1本のビールをチビチビ飲んで寝るだけ・・・。

何処へ行っても、いつの間にか子供に囲まれている。

 

「スリランカ・ヒッカドゥーワ」1999年。
前年にアルコール禁止で懲りたので、酒の有る国へ😁

この時は二週間滞在していたので、息抜きで観光もしました。

第三章 2000年代(HP開設以前迄編)へ続く・・・。

「旅の足跡」第一章 1980年代(サラリーマン編)

夢の国(バリ)から帰って来て、一週間が経とうとしています。
土産話でもしようにも、まだ数人の方にしか会っておりません😂
海も大しけ続きで時間を持て余し、旅の余韻に浸っていたら
そうだ「海外サーフトリップじまい」なんだから、
アーカイブ的に、まとめてみるかなと閃きました。

過去のプリントされたアルバムを引っ張り出して、
一枚一枚カメラで撮ってじゃ、手間がかかり過ぎるので(私かなりのデジタル音痴)
どうしたもんかと、AIに問いかけると
①専門業者に依頼。②コンビニでも出来る。③プリンターでスキャン。
となり1、2は無いな、エプソンのプリンターを持っているので
取説から解読して、何とか人の手を借りずにスキャンをマスター😁
前置きはこの位にしてさて本編へ。
「写るんですよ」で撮影した写真がほとんどなので、画像の不鮮明さはご容赦下さい。

第一章 80年代は、ちょうど私のサラリーマン時代で、
お盆休み等をやり繰りして、バリ通いをしていました。
残念ながら、1881年の初バリの写真が何処にも無く、1985年からです。
トランクスの短さが、時代を物語っていて笑えます😁
隣は初バリで知り合った「プトゥー」当時のバリを代表するサーファー。来日時は、拙宅に一週間位滞在した事も。
私が会社に行って留守をしていても、亡き父(当時50歳位)と意気投合していました。舞台はバリへ戻り。
当時はまずはバイクをレンタルしないと、クタビーチ以外では🏄出来ないので
その為にバリの免許を取りに、デンパサールに有る教習所迄。
これに半日費やしてしまうけど、それも楽しんでいたかな・・・。八の字を足をつかずに一周して、その後学科試験(教官が答えを指さしてくれる)
だってインドネシア語の問題読めないし、大らかな時代でした😁合格したら、早速波の良いポイントへGo🏍バイクキャリアも付いていないので、ボードケースをたすき掛けにして
遥々メドウィー迄、途中休みながら3〜4時間かけて到着。隣は下羽(涼平の父ちゃん27歳時)
これは⬇かなり貴重な写真かと。
この土地に数年後にホテルが建ち、今回滞在した「ウマディーホテル」へと繋がります。

2026年ナウ。面影があります・・・。

プトゥーの道案内が無ければ、辿り着けなかったな・・・。

当時定宿の「バリバンガロー」
ハーフウエイから建物が丸見え。
ビーチウォークSCは勿論の事、まだイスタナラマホテルも建っていない。
道路も舗装されておらず、この手つかずの自然が
幼少期の千倉の原風景と重なり、当時はハマったんだと思う・・・。
チャングーの主。

公共交通「ベモ」今は見かけない。

第二章 1990年代(サーフショップ業編)へ続く・・・。

「Bali Surf Trip 2026 Day9.」

メドゥイーから始まりスランガンと来て、今回のトリップの締めくくりは
ホテルから歩いてカヌーに乗っての、オンショアのエアーポートリーフへ。

町田君がベトナムエアーで帰国の為、昼過ぎにはホテルを出なければならず
逆算すると近場でサクッと済ませるしか無く、その様な選択になりました。
岸寄の方はそこ迄風が強そうに見えませんが、滑走路の先のアウターリーフなので
モロに風の影響を受けていました。
それでもやらなければ、スランガンのみの🏄じゃ勿体無いと
誰よりも長く海に入っていました😁

町田君とは最後の会食。千倉での再会を約束してお別れ😂

外に出る元気も無く、最後の晩餐はホテルのレストランで済ます事に。
私はビーフ、妻はチキンステーキ。
両方で2,000円位と、ホテルにしてはかなりリーズナブル。

そうそう「Mr`x」は、糸の切れた凧の様にラストディも独り何処かへ・・・。

 

今宵はライブディとの事で、BGM付きの食事タイム。食事が終わり、さて部屋に戻って最後の荷物チェックでもと、思っていたら。
「The next song is famous japanese song」
「Please sing it you」とステージに手招きされ(日本人の観客は私と妻のみ)
「昴」のイントロが流れ、「俺歌った事無いし、しかも歌詞が分からないよ」と
妻に言うと、携帯に表示された歌詞の画面を渡されて、なんと二夜連続の飛び入り出演♫

これぞ「旅の恥はかき捨て」🏄以外にも良い思い出が出来ました😁
そんなこんなで、ガイドさんのお迎えを受け、
私のラスト海外サーフトリップは、幕を閉じました。
1981年に初めての海外旅行で訪れた「バリ」ですが、今回で19回目となりました。
以外に少ないですが、実はそれには私なりの理由が有りまして・・・。
初バリから20数年の間に急激な発展を遂げ、それにともない「バリの素朴な田舎らしさ」が
薄れて行く過程で足が遠のき出し、新天地を求めて「スリランカ」「北スマトラ」
「フィージー」「マウイ」「フィリピン」「台湾」等旅を続ける中で、
一時は「ロンボク島」に魅せられ、しばし通うも又結局バリへ。
バリの目覚ましい発展は、そこに暮らす人々が望んだ事なので
受け入れるしか無いと気持ちを入れ替えて、「だって波は変わって無いし」
それでも、古き良きバリを知る身としては、
ここ何年かはクタから車で数時間の、「バリアン」や「メドゥイー」「ジャスリー」等の
ビーチフロントに滞在して、後半はクタの街ライフも楽しむスタイルが確立しました。

その間、一緒に旅を楽しんでくれたメンバーや、
その土地々でお世話になった、ローカルやガイドの皆さんに感謝の言葉しか有りません。
「どうもありがとう」「テレマカシー」「Thank you so much」🙇

 

今回の旅でヒトツだけ残念なのが、🏄の映像がほとんど無い事。
いつもは撮影係を努めてくれる妻が、今回はオーバーヘッドだろうがWだろうが
持ち前の負けん気で、果敢にチャレンジ。
「だってこれで最後かと思うと、やるしか無いじゃん」と、妻なりの決意が有った様です。
まあ、今回も良く海に入り、良く食い酒を飲みました。
「あ〜疲れた」

10日振り千倉の海。ずっと10日間こんな状態だった様です。
夢の国から現実へ、容赦なく引き戻されたました・・・。

拙文を最後まで読んでいただき「テレマカシー」🙇

「Bali Surf Trip 2026 Day8.」

昨夜のウエルカムディナーを欠席した「Mr.X」は、
朝食タイムには「持ち前の明るさ」で、すっかり打ち解けていました😁
今朝もガイドさんのお迎えで、まずはヌサドゥア方面へ。
こんな高速道路が出来てて、最後に来たのはいつなのか、記憶を巡らせるとなんと30年振り。
今回の旅の目的のヒトツに、妻を初めてバリに連れて来た時の(まだサーフィン始めて無い)
思い出の地を巡るが有り、「メドゥイー」「バリアン」「クタ」そして今日「ヌサドゥア」
に行く事が出来ました。
残念ながら「ウルワツ」は、風が合わないのでパス。

町田君もサーフィン始めたての頃に、先輩に連れて来てもらった思い出が有るとの事で、
しばし感傷に耽っていました・・・。

波は遥かアウトサイドなので、肉眼では分かりづらいですが、
軽くオーバーヘッドは有りそうで、カレントも強いので
2年振りに再開する町田君にとっては、いきなりここはキツイのでは。
と言う事になり、疲労困憊の私もヒト安心。して、一路「スランガン」へ。同じカヌーに「ニョーマン」さんの弟の「スワール」の姿も。

ポイントに着き5分もしないうちに、早速波をキャッチして乗っていった町田君。

ラインナップに戻るなり、「実はウエーブプールでコソ練してたでしょう」と私。
その後も、私が沖に向かうタイミングで、乗って来るシーンを何度か見かけましたが、
「むしろ2年前より上手くなっているよ!」と。
理由はテイクオフした後に、ターンをする為にボードを動かそうとするクセが無くなり
ボードを傾ける=レールが入るので、勝手にリップに向かってターンが始まる。
この感覚がマスター出来ていました😁
帰りのカヌーで、「やっぱりマラソンで、常日頃体を鍛えているから凄いね」と私。
「いやあ〜マラソンは、走りながらペースを落としたり休めるけど、
サーフィンは辛くて、パドルの手を緩めたら、容赦無く脱落していくから
改めてサーフィンの大変さが分かりました」と、
両方やっている人にしか言えない「金言」を頂きました。

今日と明日の午前中しか、サーフィンする時間の無い町田君は、
流石にバリ迄来て、一ラウンドじゃ終われないと、
クタビーチ周辺をチェツクするも断念。ビーチが侵食されてしまい、砂浜が無くなったクタビーチは
かつての面影は有りません😂
明日の午前中にかける事にして、マッサージからのディナータイム。
ホテル迄の帰り道の途中に有る、ショッピングモールでヒト休み。しばしライブに聴き惚れていると、みんなから「今回が最後なら一発カマしましょう♫」
となり、英語の堪能な町田君の交渉で、急遽飛び入り参加する事に。
世界中の誰もが知っているであろう、
スタンダードナンバー「スタンド・バイ・ミー」を、クタの街にうんならかしました。
「テレマカシー」「Thank you  so much」

ラストDayへ続く・・・。

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