「旅の足跡」第一章1980年代、楽しんで頂けましたでしょうか。
当時のバリを知る方からは、「バイクの教習所行った行った!」
「海も道路もガラガラだった」等など、共感の声を頂きました😁
さて、1993年11月に現サーフショップ「サザンコースト」を開業。
今から思えば、まさにこれぞ「若気の至り」
こうして33年目を迎えられているのは、今迄支えて来てくれた皆さんのおかげです。
この場を借りて、「有難う御座います🙇」
「バリ」1996年。
ここからは皆さんご存知の面々が登場して来ます。
まずはいきなりですが、表紙にて妻の登場です。
この時はショップを始めてから、二度目のバリツアーとなります(通算7回目)
一度目(1994年)の写真が見当たらず、二度目からとなりました。
ウルワツ!?へ向かう途中で、ガス欠したかな・・・。
ほとんど車が走っていません。
今とは大違い。
この時は総勢6名だったので、ライトバンをレンタルして荷台に一人乗ってたかな。
バリアンで1ラウンド、メドウィーで2ラウンド目。
メドウィーは、5人で貸し切りだった様な気がします。
そうそう妻は、まだサーフィンデビューしていません。
このあと、10数年後にデビューです・・・。
そんな事よりも、ここがメドウィーのどん突きで、右側の屋根が巨大な休憩所で
今の「ボンボラホテル」の建っている場所です。
この屋台が進化して、今のワルンになったみたいです。
やっぱり、営業権みたいのが有るんでしょうね。
この日はたまたま「ラマダン明けのお祭り」が有り、みんさんオメカシしていました。
妻が居る側がホテルの敷地内(レストラン利用)で、竹で作られた柵で仕切られていました。
今から丁度30年前なので、この子達も今は30〜40代なのかな・・・。

ここは300段位の階段を降りて行く「グリーンボール」かと。
実はこの時のバリツアーを境に、私のバリ通いは途絶えたのでした。
理由は「Bali Surf Trip 2026 Day9.」で述べていますので、そちらを参照下さい。
「フィージー・ナモツ」1997年。
CTツアーの会場でお馴染みの「タバルア」の、近くに有る「ナモツ島」
「島」と言っても一周しても10分位で、学校のグランド程度の広さかな。
そこに6〜7棟のコテージと、レストラン、オフィスが有るだけ。
水道が無いので、黒いビニールタンク(一日1本)に、
水を入れて日中吊るしておいて、太陽で温まったお湯がシャワー代わり。
「カバ」での歓迎の儀式。
まだプロになる前の伊藤君との初海外。
フィージー本島から、小さなボートに乗って上陸したら、1週間後の迎えのボートが来る迄、
サーフィンするか釣り、昼寝、星をみたり、飲食以外にやる事は無い。
なので本当にサーフィンに集中したい方にはモッテコイ。
流石にこの歳になると少しキツイかな・・・。
私は素潜りはしますが、釣りは生まれてから数回しかやった事が無く、
この時はビギナーズラックで、ロウニンアジとシーバスゲット。
晩飯に他の宿泊者とシェアしました。

「北スマトラ・バンダアチェ」1998年。
成田〜ジャカルタ〜メダン〜バンダアチェ迄。
出発から1日半かけて到着した、スマトラ半島の最果ての地。
到着早々問題発生😱
このエリアは、ゴリゴリのイスラム教でアルコール禁止。
宿のレストランに、ビールすら無い。
このメンバー酒豪揃いで、ヤベエなあとなり
そこは「蛇の道は蛇」、闇で売っている所迄、🚚をチャーターして買い出しに📦
ビールを何ケースか買いましたが、この人数でいつもの調子で飲んだら
一週間どころか2〜3日で底をつくので、配給制に1日一人1本位だったかと
今はそんな事無いらしいけど、その時は参りました😂
ビーチフロント滞在スタイルで、サーフィンに明け暮れてから
夕飯にヌルい(冷蔵庫も無く、飲む時にバケツに氷を入れて冷やす)
1本のビールをチビチビ飲んで寝るだけ・・・。
「スリランカ・ヒッカドゥーワ」1999年。
前年にアルコール禁止で懲りたので、酒の有る国へ😁
第三章 2000年代(HP開設以前迄編)へ続く・・・。



































































