さてここからが本題。
トランプが始めた戦争により、原油由来の製品に多大な影響が出始めていますが、
サーフボードファクトリーもご多分に漏れず、
アセトンやシンナーが、70%UPの値上がりを皮切りに、
今後は他の原材料にも影響が予測されます。
値上がりして価格転嫁出来ればまだしも、「モノが無い」となるとお先真っ暗です。
当面は保有している在庫で賄えるが、今後は不透明との事。
早目のご対応をお勧めします。
堅苦しいタイトルですが、今回の特集は紙のプリント写真を巡るがコンセプト。
今の様に携帯で写真を撮る習慣が無い、いやそもそもカメラ機能が付いていない時代の話。
しかも私はビデオカメラ以外、カメラという物を持った事が無く
今のビデオカメラは静止画モードも有り、解像度も高いのでこれからも持たないかな・・・。
カメラ付き携帯が普及した頃に、HPを開設してブログも始めたので、
そこに掲載されていない「海外トリップ」を振り返っています。
まずは2000年1月の「マウイ島」から。
「マウイ島」2000年。
⬆ホノルアベイ(写真無いのでネット上から拝借🙇)
この時は人生初のアメリカ圏で、右側通行が慣れなくて怖かったです。
旅のメンバーは青山ファミリー(長男のカイ君覚えてるのかな)

ホノルアベイやホオキパ、カフルイ港脇で🏄しました。
2023年の山火事でラハイナの街は壊滅状態に、
今は復興に向けて、再建作業が続いているそうです。(戦争やってる場合じゃない)
ウインドサーフィンの聖地だけ有り、とにかく風が強い。
「ロンボク島」2002年。
ここからしばらくバリに変わる新天地「ロンボク」通いが始まります。
まずは二人で現地調査に、今思えば初の二人旅🙀
当時ロンボク島へは、バリから国内線(ロングNG)かフェリー(ロング可)で
行くしか方法が無く(後にシンガポール経由で行けるのを知る)
クタで一泊して翌日に、ベノア港からフェリーで。
安いホテルでしたが、お約束のプールも有り大満足😁
ホテルの前の景色。これこれかつてのバリそのまま。
妻もこういうジャングルが大好きで、価値観が一緒は大事です。
このトランクス今でも履いてねえか!?
流石世界の「ROXY」
今みたいに、ブログを書く事を想定していないので、食事のシーン等無い・・・。
お世話になったグルプックの面々。
「ロンボク」2003年。
翌年はメンバーが一気に増え、クタに長期滞在していた「田原プロ」も合流。
この時が「831君」や「山本君」との、初海外となります・・・。
「アイルグリーン」

この後、2005年・2006年と成田〜シンガポール〜ロンボクのルートで
二度程訪れましたが、2005年辺りから「スクールビジネス」が盛んになり
新天地にも変化が訪れ、バリに続きまたもやもう良いかな😢と。
そうそうバリやロンボクのスクールは、日本のそれとは大違いで、
生徒さん達はパドルする事無く、カヌーでメインピーク迄来て
そこからジャボン。
ローカルガイドのアテンドの元一番良い波を、ピークから押してもらい乗って行きます。
その数は1隻で10名前後、それが5〜6隻。
こっちがピークから乗ろうが、ほぼ関係なく押して来ます。
妻も先日のメドウィーで、やられました。
※おまけ
2005年の彼にとって二度目のロンボクで、ドロップインされて最終日に負傷。
マユ細🙀

これにて、2012年のフィリピン「サマール島」迄、海外トリップは一時中断。
と云うのも「四十の手習い」ならぬ「五十の手習い」で、スキーもやった事無いのに
スノーボードにチャレンジ。
毎シーズン5回前後は、雪山通いをしていました・・・。
怖さが先にたって、中級者コースがやっとこさで、3級迄は取りましたが
海外旅行が復活してから、足がすっかり遠のきました・・・。
落ちがついたところで、これにて終了。
自分で言うのも何ですが、第一章、二章、三章と先細り感は否めません😓
拙文を最後迄お読み頂き、有り難うございました🙇
「旅の足跡」第一章1980年代、楽しんで頂けましたでしょうか。
当時のバリを知る方からは、「バイクの教習所行った行った!」
「海も道路もガラガラだった」等など、共感の声を頂きました😁
さて、1993年11月に現サーフショップ「サザンコースト」を開業。
今から思えば、まさにこれぞ「若気の至り」
こうして33年目を迎えられているのは、今迄支えて来てくれた皆さんのおかげです。
この場を借りて、「有難う御座います🙇」
「バリ」1996年。
ここからは皆さんご存知の面々が登場して来ます。
まずはいきなりですが、表紙にて妻の登場です。
この時はショップを始めてから、二度目のバリツアーとなります(通算7回目)
一度目(1994年)の写真が見当たらず、二度目からとなりました。
ウルワツ!?へ向かう途中で、ガス欠したかな・・・。
ほとんど車が走っていません。
今とは大違い。
この時は総勢6名だったので、ライトバンをレンタルして荷台に一人乗ってたかな。
バリアンで1ラウンド、メドウィーで2ラウンド目。
メドウィーは、5人で貸し切りだった様な気がします。
そうそう妻は、まだサーフィンデビューしていません。
このあと、10数年後にデビューです・・・。
そんな事よりも、ここがメドウィーのどん突きで、右側の屋根が巨大な休憩所で
今の「ボンボラホテル」の建っている場所です。
この屋台が進化して、今のワルンになったみたいです。
やっぱり、営業権みたいのが有るんでしょうね。
この日はたまたま「ラマダン明けのお祭り」が有り、みんさんオメカシしていました。
妻が居る側がホテルの敷地内(レストラン利用)で、竹で作られた柵で仕切られていました。
今から丁度30年前なので、この子達も今は30〜40代なのかな・・・。

ここは300段位の階段を降りて行く「グリーンボール」かと。
実はこの時のバリツアーを境に、私のバリ通いは途絶えたのでした。
理由は「Bali Surf Trip 2026 Day9.」で述べていますので、そちらを参照下さい。
「フィージー・ナモツ」1997年。
CTツアーの会場でお馴染みの「タバルア」の、近くに有る「ナモツ島」
「島」と言っても一周しても10分位で、学校のグランド程度の広さかな。
そこに6〜7棟のコテージと、レストラン、オフィスが有るだけ。
水道が無いので、黒いビニールタンク(一日1本)に、
水を入れて日中吊るしておいて、太陽で温まったお湯がシャワー代わり。
「カバ」での歓迎の儀式。
まだプロになる前の伊藤君との初海外。
フィージー本島から、小さなボートに乗って上陸したら、1週間後の迎えのボートが来る迄、
サーフィンするか釣り、昼寝、星をみたり、飲食以外にやる事は無い。
なので本当にサーフィンに集中したい方にはモッテコイ。
流石にこの歳になると少しキツイかな・・・。
私は素潜りはしますが、釣りは生まれてから数回しかやった事が無く、
この時はビギナーズラックで、ロウニンアジとシーバスゲット。
晩飯に他の宿泊者とシェアしました。

「北スマトラ・バンダアチェ」1998年。
成田〜ジャカルタ〜メダン〜バンダアチェ迄。
出発から1日半かけて到着した、スマトラ半島の最果ての地。
到着早々問題発生😱
このエリアは、ゴリゴリのイスラム教でアルコール禁止。
宿のレストランに、ビールすら無い。
このメンバー酒豪揃いで、ヤベエなあとなり
そこは「蛇の道は蛇」、闇で売っている所迄、🚚をチャーターして買い出しに📦
ビールを何ケースか買いましたが、この人数でいつもの調子で飲んだら
一週間どころか2〜3日で底をつくので、配給制に1日一人1本位だったかと
今はそんな事無いらしいけど、その時は参りました😂
ビーチフロント滞在スタイルで、サーフィンに明け暮れてから
夕飯にヌルい(冷蔵庫も無く、飲む時にバケツに氷を入れて冷やす)
1本のビールをチビチビ飲んで寝るだけ・・・。
「スリランカ・ヒッカドゥーワ」1999年。
前年にアルコール禁止で懲りたので、酒の有る国へ😁
第三章 2000年代(HP開設以前迄編)へ続く・・・。
夢の国(バリ)から帰って来て、一週間が経とうとしています。
土産話でもしようにも、まだ数人の方にしか会っておりません😂
海も大しけ続きで時間を持て余し、旅の余韻に浸っていたら
そうだ「海外サーフトリップじまい」なんだから、
アーカイブ的に、まとめてみるかなと閃きました。
過去のプリントされたアルバムを引っ張り出して、
一枚一枚カメラで撮ってじゃ、手間がかかり過ぎるので(私かなりのデジタル音痴)
どうしたもんかと、AIに問いかけると
①専門業者に依頼。②コンビニでも出来る。③プリンターでスキャン。
となり1、2は無いな、エプソンのプリンターを持っているので
取説から解読して、何とか人の手を借りずにスキャンをマスター😁
前置きはこの位にしてさて本編へ。
「写るんですよ」で撮影した写真がほとんどなので、画像の不鮮明さはご容赦下さい。
第一章 80年代は、ちょうど私のサラリーマン時代で、
お盆休み等をやり繰りして、バリ通いをしていました。
残念ながら、1881年の初バリの写真が何処にも無く、1985年からです。
トランクスの短さが、時代を物語っていて笑えます😁
隣は初バリで知り合った「プトゥー」当時のバリを代表するサーファー。
来日時は、拙宅に一週間位滞在した事も。
私が会社に行って留守をしていても、亡き父(当時50歳位)と意気投合していました。
舞台はバリへ戻り。
当時はまずはバイクをレンタルしないと、クタビーチ以外では🏄出来ないので
その為にバリの免許を取りに、デンパサールに有る教習所迄。
これに半日費やしてしまうけど、それも楽しんでいたかな・・・。
八の字を足をつかずに一周して、その後学科試験(教官が答えを指さしてくれる)
だってインドネシア語の問題読めないし、大らかな時代でした😁
合格したら、早速波の良いポイントへGo🏍
バイクキャリアも付いていないので、ボードケースをたすき掛けにして
遥々メドウィー迄、途中休みながら3〜4時間かけて到着。
隣は下羽(涼平の父ちゃん27歳時)
これは⬇かなり貴重な写真かと。
この土地に数年後にホテルが建ち、今回滞在した「ウマディーホテル」へと繋がります。
当時定宿の「バリバンガロー」
ハーフウエイから建物が丸見え。
ビーチウォークSCは勿論の事、まだイスタナラマホテルも建っていない。
道路も舗装されておらず、この手つかずの自然が
幼少期を過ごした地元の原風景と重なり、当時はハマったんだと思う・・・。
チャングーの主。
第二章 1990年代(サーフショップ業編)へ続く・・・。
メドゥイーから始まりスランガンと来て、今回のトリップの締めくくりは
ホテルから歩いてカヌーに乗っての、オンショアのエアーポートリーフへ。
町田君がベトナムエアーで帰国の為、昼過ぎにはホテルを出なければならず
逆算すると近場でサクッと済ませるしか無く、その様な選択になりました。
岸寄の方はそこ迄風が強そうに見えませんが、滑走路の先のアウターリーフなので
モロに風の影響を受けていました。
それでもやらなければ、スランガンのみの🏄じゃ勿体無いと
誰よりも長く海に入っていました😁
町田君とは最後の会食。千倉での再会を約束してお別れ😂

外に出る元気も無く、最後の晩餐はホテルのレストランで済ます事に。
私はビーフ、妻はチキンステーキ。
両方で2,000円位と、ホテルにしてはかなりリーズナブル。

そうそう「Mr`x」は、糸の切れた凧の様にラストディも独り何処かへ・・・。
今宵はライブディとの事で、BGM付きの食事タイム。
食事が終わり、さて部屋に戻って最後の荷物チェックでもと、思っていたら。
「The next song is famous japanese song」
「Please sing it you」とステージに手招きされ(日本人の観客は私と妻のみ)
「昴」のイントロが流れ、「俺歌った事無いし、しかも歌詞が分からないよ」と
妻に言うと、携帯に表示された歌詞の画面を渡されて、なんと二夜連続の飛び入り出演♫
これぞ「旅の恥はかき捨て」🏄以外にも良い思い出が出来ました😁
そんなこんなで、ガイドさんのお迎えを受け、
私のラスト海外サーフトリップは、幕を閉じました。
1981年に初めての海外旅行で訪れた「バリ」ですが、今回で19回目となりました。
以外に少ないですが、実はそれには私なりの理由が有りまして・・・。
初バリから20数年の間に急激な発展を遂げ、それにともない「バリの素朴な田舎らしさ」が
薄れて行く過程で足が遠のき出し、新天地を求めて「スリランカ」「北スマトラ」
「フィージー」「マウイ」「フィリピン」「台湾」等旅を続ける中で、
一時は「ロンボク島」に魅せられ、しばし通うも又結局バリへ。
バリの目覚ましい発展は、そこに暮らす人々が望んだ事なので
受け入れるしか無いと気持ちを入れ替えて、「だって波は変わって無いし」
それでも、古き良きバリを知る身としては、
ここ何年かはクタから車で数時間の、「バリアン」や「メドゥイー」「ジャスリー」等の
ビーチフロントに滞在して、後半はクタの街ライフも楽しむスタイルが確立しました。
その間、一緒に旅を楽しんでくれたメンバーや、
その土地々でお世話になった、ローカルやガイドの皆さんに感謝の言葉しか有りません。
「どうもありがとう」「テレマカシー」「Thank you so much」🙇
今回の旅でヒトツだけ残念なのが、🏄の映像がほとんど無い事。
いつもは撮影係を努めてくれる妻が、今回はオーバーヘッドだろうがWだろうが
持ち前の負けん気で、果敢にチャレンジ。
「だってこれで最後かと思うと、やるしか無いじゃん」と、妻なりの決意が有った様です。
まあ、今回も良く海に入り、良く食い酒を飲みました。
「あ〜疲れた」
10日振り千倉の海。ずっと10日間こんな状態だった様です。
夢の国から現実へ、容赦なく引き戻されたました・・・。

拙文を最後まで読んでいただき「テレマカシー」🙇
昨夜のウエルカムディナーを欠席した「Mr.X」は、
朝食タイムには「持ち前の明るさ」で、すっかり打ち解けていました😁
今朝もガイドさんのお迎えで、まずはヌサドゥア方面へ。
こんな高速道路が出来てて、最後に来たのはいつなのか、記憶を巡らせるとなんと30年振り。
今回の旅の目的のヒトツに、妻を初めてバリに連れて来た時の(まだサーフィン始めて無い)
思い出の地を巡るが有り、「メドゥイー」「バリアン」「クタ」そして今日「ヌサドゥア」
に行く事が出来ました。
残念ながら「ウルワツ」は、風が合わないのでパス。
町田君もサーフィン始めたての頃に、先輩に連れて来てもらった思い出が有るとの事で、
しばし感傷に耽っていました・・・。

波は遥かアウトサイドなので、肉眼では分かりづらいですが、
軽くオーバーヘッドは有りそうで、カレントも強いので
2年振りに再開する町田君にとっては、いきなりここはキツイのでは。
と言う事になり、疲労困憊の私もヒト安心。
して、一路「スランガン」へ。同じカヌーに「ニョーマン」さんの弟の「スワール」の姿も。
ポイントに着き5分もしないうちに、早速波をキャッチして乗っていった町田君。
ラインナップに戻るなり、「実はウエーブプールでコソ練してたでしょう」と私。
その後も、私が沖に向かうタイミングで、乗って来るシーンを何度か見かけましたが、
「むしろ2年前より上手くなっているよ!」と。
理由はテイクオフした後に、ターンをする為にボードを動かそうとするクセが無くなり
ボードを傾ける=レールが入るので、勝手にリップに向かってターンが始まる。
この感覚がマスター出来ていました😁
帰りのカヌーで、「やっぱりマラソンで、常日頃体を鍛えているから凄いね」と私。
「いやあ〜マラソンは、走りながらペースを落としたり休めるけど、
サーフィンは辛くて、パドルの手を緩めたら、容赦無く脱落していくから
改めてサーフィンの大変さが分かりました」と、
両方やっている人にしか言えない「金言」を頂きました。
今日と明日の午前中しか、サーフィンする時間の無い町田君は、
流石にバリ迄来て、一ラウンドじゃ終われないと、
クタビーチ周辺をチェツクするも断念。
ビーチが侵食されてしまい、砂浜が無くなったクタビーチは
かつての面影は有りません😂
明日の午前中にかける事にして、マッサージからのディナータイム。
ホテル迄の帰り道の途中に有る、ショッピングモールでヒト休み。
しばしライブに聴き惚れていると、みんなから「今回が最後なら一発カマしましょう♫」
となり、英語の堪能な町田君の交渉で、急遽飛び入り参加する事に。
世界中の誰もが知っているであろう、
スタンダードナンバー「スタンド・バイ・ミー」を、クタの街にうんならかしました。
「テレマカシー」「Thank you so much」
ラストDayへ続く・・・。
今回はクタエリアでの定宿「リサタバリ」では無く、予算の関係でこちら⬆のホテル。
朝食が付いて二人で6,000円。
昨日迄滞在していたメドゥイーの「ウマディーサーフ&リトリート」が、
同じく二人で、12,000円前後。
いずれにしても日本では、民宿も泊まれません・・・。
こんな広いプール有るし、言う事無し。
散歩がてらホテルの前のビーチをチェツクするも、予報通りオンショア。
おそらく最終日の13日迄、クタエリアはオンショア予報なので
いつものサーフガイド「ニョーマン」さんを、メドゥイーからラインして予約済み。
8時に2年振りの再会を果たし、
「すみません、毎日オーバーヘッドの波に揉まれてヘロヘロなので、
肩前後の小さ目なポイントへ」「わかったヨと」
オフショアになる、クタエリアの反対側の「スランガン」へ。
いつもお世話になっている「ニョーマン」さん。
波は結局セット頭。インパクトで喰らうと、グルグル巻に😂
スクールの団体さんを、乗せたカヌーが行き交う海域。
バリ島はここ数十年で、サーフィンが新たな産業として確立されている様です。
床屋でカットが350円(シャンプー込で700円)。マッサージが1時間1,500円。
それに対してサーフボードレンタル3時間2,000円。
サーフガイド1人につき6,000〜10,000円。
明らかにサーファーは、裕福な人種となりつつ有る様です。
サーフィン後は、ニューマンお勧めの定食屋さんへ
ライスをベースに、ショーケースに並んだおかずをチョイスして、レジで支払うスタイル。
メドゥイー修行の疲れが、スランガンでMAXになったので、今日は一ラウンドのみ。
そうこうする内に、スパシャルゲストが到着。
腹っぺらしの風来坊は、町田社長の到着を待てず、一人街へ繰り出してしまったので、
3人でのウエルカムディナー。
明日もガイドの迎えで反対側へ行きますが、町田君にとっては2年振りのサーフィン。
果たしてどんな結末が・・・。
続く・・・。