「25th ANNIVERSARY SURF FESTA」を、いかにして楽しむかかについて実行委員の皆さんと1時間程ミーティング。
最初に企画が持ち上がった時は随分先の事と思っていましたが、アッと言う間に月日は流れ
もう手が届きそうなところ迄来てしまいました。
と言う事で、まだご返事を頂いて無い方よろしくお願い致します。
「シカト」は「ダメヨ〜ダメダメ」(古)
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日曜日の来訪者・・・。
店の真ん前のレフトブレークを眺めていると「抱井さん」と次男の「暖君」の姿が・・・。
「25th ANNIVERSARY SURF FESTA」の「招待状」と「エントリー用紙」は、すでにある方を通じて手元に渡っているものと思っていましたが
まだとの事でしたので、直接お渡ししました。本来ならお願いをする訳なのでそう有るべきなので結果オーライ。
そんな会話の中で「川井さんには声かけたの?」「いやいや賞金でも出せればですが、恐れ多くて・・・。」「確かに」
て言うか、抱井さんをお誘いするのも迷った程なので、何の話かって事ですよね(笑)
実は「OVER60」クラスというイベントの目玉を企画しまして、ショートでは抱井さんオガマ教授、和田の大御所、昨年の全日本カフナクラス優勝者。
ロングでは稲村レジェンドの奥田さん竹中さん等々が、参戦表明中ですので
迎え撃つ、いや胸をお借りする当店のOVER60メンバーにとっては、夢の様な対戦で今から興奮気味(俺だけか?!)
して、平砂浦へ行かずにホームに残った面々と1ラウンドサーフした後に
次なる来訪者が・・・。
こちらも鎌倉からブルーワー和田社長が奥様と「早春の南房総の旅」のついでに納品に。
「なんだかんだ言って売れてるじゃん」と突っ込まれそうですが、ロングは店置きのストックでショートは私のです。
がしかし「今朝の千倉の波」のコメント「何か売れると良いな・・・。」をご覧になったこちらの方が「可哀想だから」とボードをオーダーしてくれました!
言ってみる(書いてみる)もんです。このU田先輩とは、私が大学に入学した時からの付き合いですからもう41年になります。
ニーボードのニューボードをオーダーして頂いた「A大サーフィン同好会」元キャプテンの
U田氏。いつも有難うございます、OVER60クラス頑張りましょう!
「川井幹雄」氏 古希の祝い。
にお招き頂き「ホテルオークラ東京」迄行ってまいりました。
過去にも二度程、川井さんのパーティーには出席させて頂きましたが、此度は都内の一流ホテルでの開催ということで
田舎モンの私としては、まず一番最初に浮かんだのが「何を着て行けば・・・。」このクダリから書き始めたら、本題まで行く前に飽きられそうなので以下省略。
私が川井さんに始めてお会いしたのは、今から遡ることおよそ40数年前・・・。
当時、鴨川の高校に在学していた私は、一年の時に同じクラスになった勝浦から通って来ている男と仲良くなりいつしか友人に
聞けばすでに中学の頃から「サーフィン」をやっているとの事。
恥ずかしながらこの時点で私はまだ「サーフィン」なるモノをやった事どころか見た事も無かった。
結局その友人とは、クラス替え(8クラスも有るのに)をしても、不思議と同じクラスになり卒業迄の三年間机を並べる事になる。
そうこうする内にその友人の勧めも有り、高二の秋に目出度く「サーフィンデビュー」を果たす事に、ここ迄は割りと良くある話ですが
何が普通と違うかと言うと、初めて入ったポイントがあの「マリブ」( カリフォルニアでは無い)当時は、波のサイズも分からなかったので
はっきりした事は言えませんが、マリブが立つのですからオーバーヘッドはゆうに有ったかと
勿論ピークには近づかず(近づけず)
「にしはインサイドでやってろおー」(君は岸寄りでやってて下さい)と言う暖かい言葉に従い借りたボードとウエットで初サーフィン(波乗りマットや板子での腹ばいは有る)
「初めてにしちゃあうんまいどー、千倉でも出来っからやれおー」これが私のサーフィンライフの第一歩。
おっと「川井さんとの出会い」でしたね、ここからですのでもう少々お付き合いください!
その頃、美術の授業で自由作品みたいなお題が有り、その友人が自分のサーフボードに「浮世絵」を書いて単位を取るとの事で
シェープしたてのフォームを教室へ持ち込み、見事な浮世絵を多分「ビードロを吹く娘」だったかと・・・。
それを思いつく友人も凄いけど、身近にそう言うシェーパーが居て、それをOKする先生。
当時からすでに「サーフタウン」だったんですね・・・。
で、その時のシェーパーが「川井さん」で、今度は浮世絵を描いたボードを持ち込みラミネート加工をしたのち、サンディングして仕上げ迄の行程を
友人に付き合い何度か学校帰りに、見学に行った時が「川井さん」との初対面(ようやくここです)その後、数十年して私が今の仕事をする様になり、川井さんともまともに話が出来る様になった時に、前述のクダリを話してみましたが
友人のボードの一件は別にして、私の事は全く覚えていませんでした。(当たり前ですね)
という事でこちらが勝浦のマリブ・松部のヘビーローカル「信夫」そちら方面へ行く方は良く覚えておいた方が良いですよ!
「SOUTHERN COAST 25th ANNIVERSARY SURF FEST」にも
遊びに来てくれるかもです。
「彼との出会いが無ければ、今の自分は無い」と言っても過言では有りません。
古希をむかえた今でも、サーフィンに対する飽くなき探究心は衰える事無く、地元の鴨川を始めとし松部・太海・メラ・ウルワツ、はたまたサンセットと
その極上の一本を追い求めている姿に、ふさわしい褒め言葉が思い付きません・・・。
あえて言うなら「リスペクト」
マンオンマン60分ヒートでした・・・。
こちらの写真は、年明け早々エクセレントコンディションが、およそ一週間に渡り続いた某所。その後は鳴りを潜めていた様ですが(私が知らないだけかも)
昨日は、目の前のビーチはサイズは頭近くは有るものの、切れ目の無いダンパーのみだったので、久し振りに行ってみました。
残念ながら正月の波の再来とは行きませんでしたが、何が良いって空いてた事。
正確に言うと私が乗りたい波のピークには一人しかおらず、しかもラインナップに向かう途中その一人がテイクオフした時点で、なんだ「Mキ」さんじゃん。
乗り終えてラインナップに戻って来る間セットは入らず、結果「Mキ」さんを待つ事になり
その後、お互いの近況報告やら交わしている内に次のセットが・・・。
何となく「俺、今乗ったからどうぞ」みたいな「阿吽の呼吸」で、わたくしめがパドル開始。
なんてたって「ノーブーツ」なので、思い通りの位置へ微調整無しで、テイクオフ成功!
このブーツ話は後期高齢者の一番の悩み(勿論ショートでの話です)なので「ウンウン分かる分かる」と頷いている方がいらっしゃると思いますが・・・。
してその後は「Mキ」さん「私」のルーティーンで、波の取り合いやライン上にいるサーファーを気にする事も無く、ストレスレスでのサーフセッション。
気が付けば、ウインターシーズンのタイムリミット60分になったので、お先に失礼しました。
波はちょっと厚目でしたが、マンオンマン最高でした!
「帰国後初サーフ。」
等と言う程大袈裟なものでは有りませんが、むしろ年明け「ホームの千倉で初サーフ」に、近い感じがしたので「波乗り日記」をメクッてみたら
1月8日/無風/腹前後/LB、1月15日/南西/腰前後/LBとなっていますが、どんな波だったか思い出そうにも全く出て来ないので、恐らく大した波じゃ無かった事が推測されます。
その後「インフルエンザ」で空白の一週間を過ごし、復活したのち「南台湾」へ一週間のサーフィン合宿でしたので、なんと昨日で今年三度目のホームでのサーフィン。
こんなに少ないのは初めてかな?!それだけ波が無かったり、有っても地形が悪く大ダンパーだったりでモバイルしていたという事ですね・・・。
そう言う訳で昨日は久し振りに掘れた波でのテイクオフとなり、南台湾のゆるい波でナマッた体には答えました。
一本目(表紙のショット)等は、危うくパーリングしそうになり何とかリカバリー(冷や汗)
心配されていた地形も復活しつつ有る様なので、例年通り春先の良い地形が期待出来そうです・・・。
因みに、それなりの装備なので南台湾より寒くなかったです(笑)
別に嫌いになった訳ではなく、むしろもう一度行きたい「ディストネーション」のヒトツに加わりました!寒さ対策をしてね・・・。