「海の恵に乾杯🍻」

ちょっとカッコ付けて、ビールメーカーのキャッチコピー風のタイトルにしてみました。
5月から解禁になった「素潜り漁」ですが、シケや低水温で赤旗続き。
今朝は凪具合も水温もバッチリで、ようやく初日を迎えました。
まあ平日だし良いっかなあと、店を2時間程抜け出して潜りに行く事に・・・。
「とったど〜」アワビとトコブシ大小20枚近く、ついでにウニも。

ひとり海鮮BBQ。妻は家の中が良いと、焼けたらテイクアウト。
別に仲が悪い訳では御座いませんので、ご心配無く・・・。

前回のプチBBQに、間に合わせたかったけど、14〜15℃じゃ潜れません😂
サザエは6〜7月迄禁漁なので、今月ワンちゃん有れば次はサザエ狙いで。
タイミングが合えば、どなたか一緒に焼きましょう🔥写真⬇は昨年の8月。

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「安・近・短」

「あん・きん・たん」昨今の物価高や不景気の影響からか、
GWや休日の過ごし方として、
「近場を低予算でサクッと短時間で楽しむ」みたいなのがトレンドらしい・・・。

バリトリップから一日も休んで無い事に気づき、昨日は思い切って休む事に。
はたから見れば、「日がな一日ボーッとテレビやYouTubeを観たり
読書をしたり、夫婦喧嘩をしているのが仕事ですか!?」と、
お叱りを受けそうですですが、
私だって接客したり世間話の一つもしたいのに、誰も来なきゃ仕方無い・・・。
まあそれもGWを機に、少しは解消されて来てはいますが😀

 

そんな訳で「安・近・短」の旅のスタートは、房総人のソウルフード「梅乃家」🍜から
コロナ禍以来だから6年振りかな、平日の昼過ぎだしと舐めていたら
この行列🙀むしろ以前より混んでいるかも。15〜16席しか無いのに、同じ位並んでます。
待つことおよそ1時間、やっとありつけました😀
しばらく来ない間に「ライス」もメニューに、アッこれは妻のです。
私は大盛りに梅割り。見た目は美味そうに見えませんが、食べてもそうなのに(個人の見解)
なぜか又、食べたくなる不思議な🍜で、半世紀近くも通っています。
千倉の「えびす家」は、これの完コピですが、
そちらの方が上品な味で美味いかも(個人の見解)
腹ごしらえの次は、国道127号を南下。

以前から気になっていた「菱川師宣記念館」へ、なんか「路線バスの旅」🚌ぽくなって来た。
保田で生まれ育った「菱川師宣」
NHK大河ドラマの「べらぼう」で、描かれた時代よりもっと前に活躍した浮世絵師。この作品がいちばん有名かな。切手にもなった「見返り美人」こういうお茶目な一面も(笑)その他「歌川国貞」
「歌川広重」等の作品も常時展示中。

 

歴史の勉強ついでに、小学校からやり直す事に。テレビ番組等で度々取り上げられて、気になっていた、
食事も買い物も出来て、泊まれる学校「保田小」へ🚌。

お腹は満たされているので、ソフトクリームだけ食べて、これにて学校見学終了。

旅の終わりは、4月にオープンした複合施設「いこっと」の図書館へ🚌。
ここは度々利用しています。本に興味のない方は、一生涯訪れる事は無いのだろうか・・・。
私は、この建物のフローリング2m分位しか、税金は収めて無いけど、
これからも有効活用させて頂きます😀

最近のマイブームは「伊坂幸太郎」こちらは↓(私の伊坂幸太郎コレクション)初めて読んだのが「キャプテンサンダーボルト」(2014年発刊)で、
2000年のデビューからは大分後で、それじゃあ失礼にあたるので、
これを機に過去作を借りて読む事に(新刊以外は買うのは勿体無い気がして)
GW中に読んだ本を返却して又借りる。

 


午前中「海近」で🏄してから、
11時半頃千倉を出発🚌→竹岡🍜→鋸南(保田)🖼・🏫→千倉🏚17時と
所要時間5時間半、諸費用「津田梅子」1枚。
まさに、「安・近・短」で、珍しくアカデミックな一日となりました😀

何もオチの無い話で終わりそうですが、家に着くとサプライズが!
私が30年以上に渡り愛読している「漫画ゴラク」
そこに長期連載していた「ミナミの帝王」が2月に完結して、
その終了記念プレゼントコーナーに、駄目元で応募したところ、なんと当たりました🎊

小学生以来の景品応募で、出した事すら忘れていました。
ホントだ名前有る🙀全国で100人!宝くじでも買ってみるか・・・。

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「田村コレクション大放出🎊」

断活中(断捨離活動中)の田村さん。
サーフィンをやめる訳では無いので、ご安心下さい。
ちゃんとニューボードもオーダー済みです。
加齢に伴い乗れなくなった数々の「愛車」。
このまま潮水に浸かる事無く、倉庫で眠っているのは忍びないと、
破格のプライスにて、セカンドユーザーを探す事となりました。
三本共、個性豊かなこだわりの逸品となっています。

相変わらず、前置きが長いです😓

▓(A)5`6/52,4cm/6cm/ツイン/下重シェープ/BBS-Fish Flow/¥40,000(税込み)
シュートボーダーのセカンドボードとしてお勧め!

※WAXカバーハードケース付き(中古)

▓(B)6`6/52,4cm/6cm/下重シェープ/ミッドレングスツイン/¥40,000(税込み)
まったりと大人のサーフィンに最適!

※WAXカバー付き(中古)

▓(C)6`6/54,6cm/6,6cm/下重シェープ/ミッド・シングルスタビ/¥55,000(税込み)
ロングボーダーの、セカンドボードにお勧め!
SOLD OUT


※WAXカバー付き(中古)

「ターンの話」

今朝のOGMさんのフェィスブックより完コピペ⬇
サーフィンのあらゆるマニューバーは、波に対して体が開くフロントサイドと、背中を向けるバックサイド――つまり左右のターンの組み合わせで成り立っています。
ボトムターンも、トップターンも、オフザリップも、カットバックも、すべては「右へ曲がる」「左へ曲がる」というシンプルな動作の連続です。
そう考えると、サーフィンという複雑に見える動きも、実はとてもシンプルな原理の上に成り立っていることが分かります。
つまり、ターンをしっかりと身につけることが、すべての技術の土台になります。
どんなに派手なマニューバーでも、その根底にあるのはターンの質です。
ターンがしっかりしていなければ、どこか不安定で、再現性の低いサーフィンになってしまいます。
一見シンプルな動作であるターンですが、その奥は非常に深いものです。
上手なサーファーのターンは、レールの入り方がとてもスムーズで、無駄な力みがなく、それでいてしっかりと波を捉えています.。
ボードが自然に傾き、波のフェイスに沿って加速していくその動きは、力強さと同時に美しさを感じさせます。
逆に、どこか引っかかるようなターンや、途中で減速してしまうターンは、見た目にもぎこちなさが出てしまいます。
サーフィンの上手さは、そのままターンの質に表れます。
だからこそ一度、自分のターンを客観的に見てみてください。
スムーズにレールが入っていますか?
それともどこかでギクシャクしていませんか?
その違和感に気づくことが、上達への大きな一歩になります。
そして、きれいなターンを生み出すためには、技術だけでなくボードの存在も非常に重要です。
自分のサーフィンスタイルに合ったアウトライン、適切なロッカー、そしてレールの厚みや形状。
これらが噛み合ってはじめて、無理のない自然なターンが可能になります。
どれだけ技術があっても、ボードが合っていなければ、ターンはどこか不自然なものになってしまいます。
ターンはすべての基本であり、同時に最も奥が深い部分です。
だからこそ、もう一度「ターン」に意識を向けてみてください。
そこには、サーフィンを変えるヒントが必ずあります。
OGM Surfboards
名言ですね、肝に銘じます🙇

さてここからが本題。

トランプが始めた戦争により、原油由来の製品に多大な影響が出始めていますが、
サーフボードファクトリーもご多分に漏れず、
アセトンやシンナーが、70%UPの値上がりを皮切りに、

今後は他の原材料にも影響が予測されます。
値上がりして価格転嫁出来ればまだしも、「モノが無い」となるとお先真っ暗です。
各メーカーに問い合わせたところ、
当面は保有している在庫で賄えるが、今後は不透明との事。
煽るわけでは御座いませんが、「そろそろニューボードを」とお考えの方は、
早目のご対応をお勧めします。
店主 敬具
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「旅の足跡」第三章 2000年代(HP開設以前編)

堅苦しいタイトルですが、今回の特集は紙のプリント写真を巡るがコンセプト。
今の様に携帯で写真を撮る習慣が無い、いやそもそもカメラ機能が付いていない時代の話。
しかも私はビデオカメラ以外、カメラという物を持った事が無く
今のビデオカメラは静止画モードも有り、解像度も高いのでこれからも持たないかな・・・。

カメラ付き携帯が普及した頃に、HPを開設してブログも始めたので、
そこに掲載されていない「海外トリップ」を振り返っています。
まずは2000年1月の「マウイ島」から。

「マウイ島」2000年。
⬆ホノルアベイ(写真無いのでネット上から拝借🙇)
この時は人生初のアメリカ圏で、右側通行が慣れなくて怖かったです。
旅のメンバーは青山ファミリー(長男のカイ君覚えてるのかな)

ホノルアベイやホオキパ、カフルイ港脇で🏄しました。
2023年の山火事でラハイナの街は壊滅状態に、
今は復興に向けて、再建作業が続いているそうです。(戦争やってる場合じゃない)ウインドサーフィンの聖地だけ有り、とにかく風が強い。
「ロンボク島」2002年。
ここからしばらくバリに変わる新天地「ロンボク」通いが始まります。
まずは二人で現地調査に、今思えば初の二人旅🙀
当時ロンボク島へは、バリから国内線(ロングNG)かフェリー(ロング可)で
行くしか方法が無く(後にシンガポール経由で行けるのを知る)
クタで一泊して翌日に、ベノア港からフェリーで。
安いホテルでしたが、お約束のプールも有り大満足😁ホテルの前の景色。これこれかつてのバリそのまま。妻もこういうジャングルが大好きで、価値観が一緒は大事です。
このトランクス今でも履いてねえか!?
流石世界の「ROXY」今みたいに、ブログを書く事を想定していないので、食事のシーン等無い・・・。
お世話になったグルプックの面々。
「ロンボク」2003年。
翌年はメンバーが一気に増え、クタに長期滞在していた「田原プロ」も合流。
この時が「831君」や「山本君」との、初海外となります・・・。「アイルグリーン」
この後、2005年・2006年と成田〜シンガポール〜ロンボクのルートで
二度程訪れましたが、2005年辺りから「スクールビジネス」が盛んになり
新天地にも変化が訪れ、バリに続きまたもやもう良いかな😢と。

そうそうバリやロンボクのスクールは、日本のそれとは大違いで、
生徒さん達はパドルする事無く、カヌーでメインピーク迄来て
そこからジャボン。
ローカルガイドのアテンドの元一番良い波を、ピークから押してもらい乗って行きます。
その数は1隻で10名前後、それが5〜6隻。
こっちがピークから乗ろうが、ほぼ関係なく押して来ます。
妻も先日のメドウィーで、やられました。

※おまけ
2005年の彼にとって二度目のロンボクで、ドロップインされて最終日に負傷。
マユ細🙀

これにて、2012年のフィリピン「サマール島」迄、海外トリップは一時中断。

と云うのも「四十の手習い」ならぬ「五十の手習い」で、スキーもやった事無いのに
スノーボードにチャレンジ。
毎シーズン5回前後は、雪山通いをしていました・・・。
怖さが先にたって、中級者コースがやっとこさで、3級迄は取りましたが
海外旅行が復活してから、足がすっかり遠のきました・・・。

落ちがついたところで、これにて終了。

 

自分で言うのも何ですが、第一章、二章、三章と先細り感は否めません😓
拙文を最後迄お読み頂き、有り難うございました🙇

「試乗ボード入荷しました!」

この度「KOZO SURFBOARDS」より、クラシックロングの試乗ボードが入荷しました。
「ライダーの返却ボードで」と、お願いしましたが、なんと新品です。

▓モデル名 No38/9`5/58,4cm/7,6cm/シングル/PU

※広いテールと強目のロッカーにより、ハイラインをキープした
安定したノーズライディングを可能にしました。

いつでも試乗出来ますので
クラシックシングルにご興味の有る方、今後の参考にしてみて下さい🙇

「旅の足跡」第二章1990年代(サーフショップ業編)

「旅の足跡」第一章1980年代、楽しんで頂けましたでしょうか。
当時のバリを知る方からは、「バイクの教習所行った行った!」
「海も道路もガラガラだった」等など、共感の声を頂きました😁

さて、1993年11月に現サーフショップ「サザンコースト」を開業。
今から思えば、まさにこれぞ「若気の至り」
こうして33年目を迎えられているのは、今迄支えて来てくれた皆さんのおかげです。
この場を借りて、「有難う御座います🙇」

「バリ」1996年。
ここからは皆さんご存知の面々が登場して来ます。
まずはいきなりですが、表紙にて妻の登場です。
この時はショップを始めてから、二度目のバリツアーとなります(通算7回目)
一度目(1994年)の写真が見当たらず、二度目からとなりました。

ウルワツ!?へ向かう途中で、ガス欠したかな・・・。
ほとんど車が走っていません。
今とは大違い。

ロータイドのウルワツ。

この時は総勢6名だったので、ライトバンをレンタルして荷台に一人乗ってたかな。
バリアンで1ラウンド、メドウィーで2ラウンド目。
メドウィーは、5人で貸し切りだった様な気がします。
そうそう妻は、まだサーフィンデビューしていません。
このあと、10数年後にデビューです・・・。

そんな事よりも、ここがメドウィーのどん突きで、右側の屋根が巨大な休憩所で
今の「ボンボラホテル」の建っている場所です。
この屋台が進化して、今のワルンになったみたいです。
やっぱり、営業権みたいのが有るんでしょうね。
この日はたまたま「ラマダン明けのお祭り」が有り、みんさんオメカシしていました。

妻が居る側がホテルの敷地内(レストラン利用)で、竹で作られた柵で仕切られていました。
今から丁度30年前なので、この子達も今は30〜40代なのかな・・・。

ここは300段位の階段を降りて行く「グリーンボール」かと。
実はこの時のバリツアーを境に、私のバリ通いは途絶えたのでした。
理由は「Bali Surf Trip 2026 Day9.」で述べていますので、そちらを参照下さい。

 

「フィージー・ナモツ」1997年。
CTツアーの会場でお馴染みの「タバルア」の、近くに有る「ナモツ島」
「島」と言っても一周しても10分位で、学校のグランド程度の広さかな。
そこに6〜7棟のコテージと、レストラン、オフィスが有るだけ。
水道が無いので、黒いビニールタンク(一日1本)に、
水を入れて日中吊るしておいて、太陽で温まったお湯がシャワー代わり。「カバ」での歓迎の儀式。
まだプロになる前の伊藤君との初海外。フィージー本島から、小さなボートに乗って上陸したら、1週間後の迎えのボートが来る迄、
サーフィンするか釣り、昼寝、星をみたり、飲食以外にやる事は無い。
なので本当にサーフィンに集中したい方にはモッテコイ。
流石にこの歳になると少しキツイかな・・・。私は素潜りはしますが、釣りは生まれてから数回しかやった事が無く、
この時はビギナーズラックで、ロウニンアジとシーバスゲット。
晩飯に他の宿泊者とシェアしました。

 

 

「北スマトラ・バンダアチェ」1998年。
成田〜ジャカルタ〜メダン〜バンダアチェ迄。
出発から1日半かけて到着した、スマトラ半島の最果ての地。
到着早々問題発生😱
このエリアは、ゴリゴリのイスラム教でアルコール禁止。
宿のレストランに、ビールすら無い。
このメンバー酒豪揃いで、ヤベエなあとなり
そこは「蛇の道は蛇」、闇で売っている所迄、🚚をチャーターして買い出しに📦
ビールを何ケースか買いましたが、この人数でいつもの調子で飲んだら
一週間どころか2〜3日で底をつくので、配給制に1日一人1本位だったかと
今はそんな事無いらしいけど、その時は参りました😂

ビーチフロント滞在スタイルで、サーフィンに明け暮れてから
夕飯にヌルい(冷蔵庫も無く、飲む時にバケツに氷を入れて冷やす)
1本のビールをチビチビ飲んで寝るだけ・・・。

何処へ行っても、いつの間にか子供に囲まれている。

 

「スリランカ・ヒッカドゥーワ」1999年。
前年にアルコール禁止で懲りたので、酒の有る国へ😁

この時は二週間滞在していたので、息抜きで観光もしました。

第三章 2000年代(HP開設以前迄編)へ続く・・・。

「旅の足跡」第一章 1980年代(サラリーマン編)

夢の国(バリ)から帰って来て、一週間が経とうとしています。
土産話でもしようにも、まだ数人の方にしか会っておりません😂
海も大しけ続きで時間を持て余し、旅の余韻に浸っていたら
そうだ「海外サーフトリップじまい」なんだから、
アーカイブ的に、まとめてみるかなと閃きました。

過去のプリントされたアルバムを引っ張り出して、
一枚一枚カメラで撮ってじゃ、手間がかかり過ぎるので(私かなりのデジタル音痴)
どうしたもんかと、AIに問いかけると
①専門業者に依頼。②コンビニでも出来る。③プリンターでスキャン。
となり1、2は無いな、エプソンのプリンターを持っているので
取説から解読して、何とか人の手を借りずにスキャンをマスター😁
前置きはこの位にしてさて本編へ。
「写るんですよ」で撮影した写真がほとんどなので、画像の不鮮明さはご容赦下さい。

第一章 80年代は、ちょうど私のサラリーマン時代で、
お盆休み等をやり繰りして、バリ通いをしていました。
残念ながら、1881年の初バリの写真が何処にも無く、1985年からです。
トランクスの短さが、時代を物語っていて笑えます😁
隣は初バリで知り合った「プトゥー」当時のバリを代表するサーファー。来日時は、拙宅に一週間位滞在した事も。
私が会社に行って留守をしていても、亡き父(当時50歳位)と意気投合していました。舞台はバリへ戻り。
当時はまずはバイクをレンタルしないと、クタビーチ以外では🏄出来ないので
その為にバリの免許を取りに、デンパサールに有る教習所迄。
これに半日費やしてしまうけど、それも楽しんでいたかな・・・。八の字を足をつかずに一周して、その後学科試験(教官が答えを指さしてくれる)
だってインドネシア語の問題読めないし、大らかな時代でした😁合格したら、早速波の良いポイントへGo🏍バイクキャリアも付いていないので、ボードケースをたすき掛けにして
遥々メドウィー迄、途中休みながら3〜4時間かけて到着。隣は下羽(涼平の父ちゃん27歳時)
これは⬇かなり貴重な写真かと。
この土地に数年後にホテルが建ち、今回滞在した「ウマディーホテル」へと繋がります。

2026年ナウ。面影があります・・・。

プトゥーの道案内が無ければ、辿り着けなかったな・・・。

当時定宿の「バリバンガロー」
ハーフウエイから建物が丸見え。
ビーチウォークSCは勿論の事、まだイスタナラマホテルも建っていない。
道路も舗装されておらず、この手つかずの自然が
幼少期の千倉の原風景と重なり、当時はハマったんだと思う・・・。
チャングーの主。

公共交通「ベモ」今は見かけない。

第二章 1990年代(サーフショップ業編)へ続く・・・。

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