帰国後バリでの暮らしを思い浮かべる暇も無い程、次から次へと深刻な現実が迫ってきた。下痢と微熱が続きコレラの疑いがあると、保健所の担当者の来訪を受けたり、真っ黒に日焼けした顔で1週間に渡る新入社員研修に参加し好奇の視線を浴び「営業マンはサーフイン等やっても役に立たない、ゴルフを覚えなさい。」「それに何だいそのマジックテープの時計は」・・・まるで今までの自分をすべて否定された様な、気持ちになり相当凹んだがりっぱな社会人に成るとはそいう事なのだと言い聞かせながら、慣れない手付きでネクタイを絞め真新しいスーツに袖を通したのだった。いつまでも別れた恋人の思い出に浸っているかの如く、バリでの暮らしが蘇り前に進めず、何か良薬はないモノかと思いを巡らした末、バリでの出来事を紀行風にまとめ、前述したサーフイン雑誌に寄稿し見事不採用に・・・
僕の旅はようやく終わりを告げた。仕事とサーフインの両立、誰もが一度は真剣に悩む命題。どちらも真面目に、取り組もうとすればする程奥は深く真っ暗闇。僕はこのあと樹海のような深い森の中へと迷い込みそこを抜け出すのに、数年の歳月を費やした。初めてのバリトリップから14~5年経った頃、僕は真冬の海に浮かんでいた、その日はオーバーヘッドからアタマ半位のエクセレントコンデイション、日曜日という事も重なり若干の賑わいをみせていた。
とは言ってもこのサイズになると、おいそれと誰でも乗れるモノでも無いが。程良くシェプされた波をチョイスし、深いボトムターンを決めリップにカットバック、ロールインで締め括り。ラインナップにハアハアしながら戻ると、波待ちしていたサーファーが振り返り開口一番「よおう久しぶり、まだ波乗りやっての?」そうO久保だ!!!僕はまったく同じ質問をして、「やってるどころかロングだけどプロになったよ~」「え~マジでえ仕事は?」「サーフショップやってんだ」と何本ものGOOD SWELLを見送りながら再会を祝した。帰り道にショップに立ち寄り「こっち水暖かいしちょくちょく来るよ」「じゃあまたな」と少し薄くなり始めた後頭部を見送った。それからその言葉通り週末を共に過ごす事が増え、彼の人見知りしない社交的な性格も手伝ってかクラブ員にも自然に溶け込み、酒席等にも積極的に顔を出すようになった。ただ酒量に関わらず二人の口から出る話といえば大昔に行ったバりでの思い出ばかり。そう他にはほとんど接点が無かったからなのだ。しばらくするとO久保は何の前触れもなく姿を見せなくなった。水温が上がって来たので、自宅からほど近い(鵠沼から墨田区に引越していた)千葉北方面に戻ったのだろう、また寒くなったらこっちへ来るだろう位に楽観していた。ていうか良く考えてみたら連絡先を知らなかった、携帯電話はまだ一般には普及しておらず・・・
それから数年後、その日の僕は遠く仙台のビーチを、コンテストに出場する為訪れていた。質の良いビーチブレークとして有名な仙台新港。ビッグウエーブスポットとしてもその名を全国に知らしめている。早々と自由の身になった僕は優勝を狙う友人をそっちのけで、今晩は牛タンをつまみに芋焼酎でも等と、良からぬ事に思いを馳せていたその時、出たああ!!!O久保「いやあ久しぶり5年ぶり位かなあ?」僕「いや6年ぶりじゃない、処で何やってんの?試合見に来たの?」(その時はショートとロングのオールジャパンが同時開催されていた)O久保「見に来たには違いないけど、あの後仙台支店に転勤になって今こっちに住んでるんだ」そう彼は大手コンビニエンスストアの本部でエリアマネージャーをしていた。転勤かあ・・・まったく思い付かなかった自分を恥じながら「なんだ言ってよ心配してたんだ急に来なくなったから」裏を返せばそれ程の深いつき合いでは無いと言うことなのか・・・その日の夜はローカルサーファーの案内の元、昼間の想像をはるかに超える酒席になった事は言うまでも無い。さすがにこの時は、合コンで意気投合したカップルの様に携帯番号を交換し「また仙台来たら連絡ちょうだい」「わかったする」しかしそうそう仙台に行く機会は無く2~3年が過ぎた頃、僕は持病の腰痛が悪化し自宅で療養していたのだ。痛みは峠を越え3日間に及ぶ禁酒も、そろそろ解禁かな等とまたまた良からぬ事を・・・もうおわかですね、今度はミニチュアダックスフントの愛犬「フラン」と共に、「何で家に居るの分かったの」「店寄ったら奥さんが腰痛くて寝てるから行ってみれば、でも飲ましちゃダメだよだって」なんて勘の良い女なんだ・・・「どうしたの波乗りしに仙台から来たの?」「いやあ転勤でまた東京に、戻って来たんだ」「えっいつ」「半年位前」またかよ・・・その後は毎週のように何処かで1ラウンド終えると「フラン」と共に拙宅を訪ずれ、どんなに遅くまで飲もうと朝5時には起き「フラン」を散歩させ、海に入り明日の仕事に差し支えるのでと早々に帰宅する。まさにサラリーマンサーファーの鏡。翌々聞いてみるとそんな波乗りジャンキイーにも入社当時は忙しくて、海にも行けず悶々とした日々を送っていた時があったそうだ。そうか僕らが偶然にも奇跡の様な再会を繰り返して来られたのは「波乗り」そう「海」が引き合わせてくれたんだ。だからお互いちょっと海から遠ざかっていた時は会えない訳で、たまにでも良いから続けることが大切なんだなと痛感した。競馬場で知り合った人には海に行くより競馬場に行った方が逢える確立高いだろうし、スノボはやっぱり雪山・パチンカーはパチンコ屋・・・「海」って改めてすごいなホントに世界中繋がってる・・・・ 終わり
本文中O久保等と呼び捨てにしていたが、実は1歳年上(卒業したのは一緒)だったようだ。
ゴメンナサイ。