堅苦しいタイトルですが、今回の特集は紙のプリント写真を巡るがコンセプト。
今の様に携帯で写真を撮る習慣が無い、いやそもそもカメラ機能が付いていない時代の話。
しかも私はビデオカメラ以外、カメラという物を持った事が無く
今のビデオカメラは静止画モードも有り、解像度も高いのでこれからも持たないかな・・・。
カメラ付き携帯が普及した頃に、HPを開設してブログも始めたので、
そこに掲載されていない「海外トリップ」を振り返っています。
まずは2000年1月の「マウイ島」から。
「マウイ島」2000年。
⬆ホノルアベイ(写真無いのでネット上から拝借🙇)
この時は人生初のアメリカ圏で、右側通行が慣れなくて怖かったです。
旅のメンバーは青山ファミリー(長男のカイ君覚えてるのかな)

ホノルアベイやホオキパ、カフルイ港脇で🏄しました。
2023年の山火事でラハイナの街は壊滅状態に、
今は復興に向けて、再建作業が続いているそうです。(戦争やってる場合じゃない)
ウインドサーフィンの聖地だけ有り、とにかく風が強い。
「ロンボク島」2002年。
ここからしばらくバリに変わる新天地「ロンボク」通いが始まります。
まずは二人で現地調査に、今思えば初の二人旅🙀
当時ロンボク島へは、バリから国内線(ロングNG)かフェリー(ロング可)で
行くしか方法が無く(後にシンガポール経由で行けるのを知る)
クタで一泊して翌日に、ベノア港からフェリーで。
安いホテルでしたが、お約束のプールも有り大満足😁
ホテルの前の景色。これこれかつてのバリそのまま。
妻もこういうジャングルが大好きで、価値観が一緒は大事です。
このトランクス今でも履いてねえか!?
流石世界の「ROXY」
今みたいに、ブログを書く事を想定していないので、食事のシーン等無い・・・。
お世話になったグルプックの面々。
「ロンボク」2003年。
翌年はメンバーが一気に増え、クタに長期滞在していた「田原プロ」も合流。
この時が「831君」や「山本君」との、初海外となります・・・。
「アイルグリーン」

この後、2005年・2006年と成田〜シンガポール〜ロンボクのルートで
二度程訪れましたが、2005年辺りから「スクールビジネス」が盛んになり
新天地にも変化が訪れ、バリに続きまたもやもう良いかな😢と。
そうそうバリやロンボクのスクールは、日本のそれとは大違いで、
生徒さん達はパドルする事無く、カヌーでメインピーク迄来て
そこからジャボン。
ローカルガイドのアテンドの元一番良い波を、ピークから押してもらい乗って行きます。
その数は1隻で10名前後、それが5〜6隻。
こっちがピークから乗ろうが、ほぼ関係なく押して来ます。
妻も先日のメドウィーで、やられました。
※おまけ
2005年の彼にとって二度目のロンボクで、ドロップインされて最終日に負傷。
マユ細🙀

これにて、2012年のフィリピン「サマール島」迄、海外トリップは一時中断。
と云うのも「四十の手習い」ならぬ「五十の手習い」で、スキーもやった事無いのに
スノーボードにチャレンジ。
毎シーズン5回前後は、雪山通いをしていました・・・。
怖さが先にたって、中級者コースがやっとこさで、3級取ってやめました・・・。
落ちがついたところで、これにて終了。
拙文を最後迄お読み頂き、有り難うございました🙇

