「旅の足跡」第一章 1980年代(サラリーマン編)

夢の国(バリ)から帰って来て、一週間が経とうとしています。
土産話でもしようにも、まだ数人の方にしか会っておりません😂
海も大しけ続きで時間を持て余し、旅の余韻に浸っていたら
そうだ「海外サーフトリップじまい」なんだから、
アーカイブ的に、まとめてみるかなと閃きました。

過去のプリントされたアルバムを引っ張り出して、
一枚一枚カメラで撮ってじゃ、手間がかかり過ぎるので(私かなりのデジタル音痴)
どうしたもんかと、AIに問いかけると
①専門業者に依頼。②コンビニでも出来る。③プリンターでスキャン。
となり1、2は無いな、エプソンのプリンターを持っているので
取説から解読して、何とか人の手を借りずにスキャンをマスター😁
前置きはこの位にしてさて本編へ。
「写るんですよ」で撮影した写真がほとんどなので、画像の不鮮明さはご容赦下さい。

第一章 80年代は、ちょうど私のサラリーマン時代で、
お盆休み等をやり繰りして、バリ通いをしていました。
残念ながら、1881年の初バリの写真が何処にも無く、1985年からです。
トランクスの短さが、時代を物語っていて笑えます😁
隣は初バリで知り合った「プトゥー」当時のバリを代表するサーファー。来日時は、拙宅に一週間位滞在した事も。
私が会社に行って留守をしていても、亡き父(当時50歳位)と意気投合していました。舞台はバリへ戻り。
当時はまずはバイクをレンタルしないと、クタビーチ以外では🏄出来ないので
その為にはバリの免許を取りに、デンパサールに有る教習所迄。
これに半日費やしてしまうけど、それも楽しんでいたかな・・・。八の字を足をつかずに一周して、その後学科試験(教官が答えを指さしてくれる)
だってインドネシア語の問題読めないし、大らかな時代でした😁合格したら、早速波の良いポイントへGo🏍バイクキャリアも付いていないので、ボードケースをたすき掛けにして
遥々メドウィー迄、途中休みながら3〜4時間かけて到着。隣は下羽(涼平の父ちゃん27歳時)
これは⬇かなり貴重な写真かと。
この土地に数年後にホテルが建ち、今回滞在した「ウマディー」に繋がります。

プトゥーの道案内が無ければ、辿り着けなかったな・・・。

当時定宿の「バリバンガロー」
ハーフウエイから建物が丸見え。
ビーチウォークSCは勿論の事、イスタナラマホテルも建っていない。
チャングーの主。

公共交通「ベモ」今は見かけない。

第二章 1990年代(サーフショップ業編)へ続く・・・。

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