話は30年近く前までさかのぼる、当時僕は都内の大学に進学し、夢に描いたようなキャンパスライフを送っていた。使い切れない程の仕送りを貰い、当時人気のあった中央線沿線の高級賃貸マンションに住み、学生の憧れの的だったアウデイに、レイヤードカットの可愛い彼女を乗せ、毎週末海に繰り出していた。というのは嘘でまったく正反対の暮らしをしていた。ただ一つだけ毎週末海に行っていた事を除けば。
折しも時は第2次サーフインブーム。僕がサーフインを始めた頃は、変人扱いされていたサーファーという人種が一気に世間に注目され、日の目を見たのだった。街はマッシュルームカット(アンガールズ又はふかわの様な)の若者で溢れ、海に行くわけでもないのに、なぜか足下は(稲妻マーク)のビーサン。おまけにボードを屋根に積んでいるだけで、女の子に羨望の眼差しで見られモテルという噂を信じ、どうせ海行かないんだからとボードをボルトでキャリアに固定したやからまで現れる始末。いわゆる「陸サーファー」の出現だ。話がタイトルからそれているように思えるが、この時代背景が重要なのだ。僕の通う大学(仮にA大としておこう)は武蔵野の面影が残る中央線沿線に有り、少々都心から離れていたのだが、うっとうしい梅雨が明け始めた頃から件の「陸サーファー」が雨後の竹の子のごとく繁殖し始めた。そんな奴らと俺は一緒にされたくないと憂鬱な日々を送って居たある日の事、明らかに(こいつは「オカ」ではない「ホンモノ」だ)と直感した男に、勇気を振り絞り「波乗りやってんの?いつも何処入ってるの?」などと話しかけてみたのだ。すると男は「実は君の事前に何度か見かけて、ホンモノに違いって僕も思ってたんだ。」いわゆる相思相愛だ。(勘違いしないでほしい僕はその頃も今もホモではない。)男は鵠沼に住むロコサーファーで、その後会うたびに「千葉はいつも波あって羨ましいよ、今度千葉行くね一緒に入ろうよ」と口癖のように言っていた。今だったら「携帯教えて」「メルアドは」で済むのだが、携帯どころか電話もアパートに無く(それが普通でほとんどの学生が、4畳半か6畳の風呂なしに住み銭湯に通っていた)連絡の取りようの無いまま夏休みを迎え、帰省しサーフインとバイトに明け暮れていた。いつものポイントで1ラウンドを終え岸に戻ると、そこには見慣れた男の笑顔。「いつ来たの?良い波だよ俺はこれからバイトだけど。」「あっ友達と一緒なの?」「そうそう、幼なじみのO君」「よろしく鈴木です、じゃあ君も鵠沼ローカルなんだね」みたいな会話をして、その日はそのまま別れた。そして稲刈りが始まる頃東京に戻り、夏休み中の台風スウエルの自慢話でもしようと、男をキヤンパスで捜したのだが、その姿を二度と見ることは無かった・・・・・